PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

百マス計算の思い出


kikulogのコメント欄で七田のあおりをくって百マス計算が話題になってますね。で、それにつれて、TAKESANさんちの関連エントリも再浮上。というわけで、ちょっと書き留めておく気になりました。2年ほど前のことなんだけど。


いまは中1の下の娘が小4から小6のときのこと。受け持っていただいた先生は熱心な方だった。毎日のように発行していただいた学級通信からもそれはわかる。校内や保護者の間では「パソコン使い」としても有名だったようだ。


娘の話からは、ちょっと子どもが萎縮しないかと思うような厳しいところもあるのだけれども、同時にほがらかでもあるということも感じ取っていた。ぼくは、この先生とは直接お話をしたことがない。ほかの担任の先生は、だいたい保護者会なんかで一度ぐらいはお話してることが多いんですけどね、長女の場合も含めて。その「厳しいところ」で無意識に敬遠しちゃったかな。


■宿題としての百マス計算
この先生の熱心さは、毎日のように宿題を出してくれたことからもわかる。


ちなみに、「出してくれた」と書いたのには理由がある。宿題って、出さない先生はまるで出さないのだ。そして、それは母親を不安に陥れるのだ。
「自宅学習を全然しなくていいの? だって、返されて来たプリントやテストを見ると、間違ってるよ、たくさん」
母親をむやみに不安にさせない先生は、父親(ていうかダンナ)としてはありがたいのだ。


さて、その宿題が、かなりの頻度で百マス計算だった。確か、加減乗除みんなやってた。桁の多い計算を習うと、その条件で出される。
1回につき1枚ってことはなかった。1枚の用紙に百マスが2つ。で、最低でも2、3枚はあったと思う。


■百マス計算の「合理化」
娘はこの百マス計算が大嫌いだった。いや、最初はともかく、そのうちに嫌いになったのかもしれない。なにしろ、隙あらばサボろうとした。最初の頃は一桁の計算。まさか、もう加算ではなかったと思うから乗算だったのだろうか。だとすれば、つまり九九だ。用紙の縦軸にも横軸にも、ゼロから9までの数字がランダムに並んでいて、それを掛けるわけだ。


そのときは、確か「最初に1行ないし1列を解き、解いた答えを他の行や列に適切に並べ替える」というような「対策」を編み出したんだったと思う。最初を除くといちいち計算はしないわけで、これはある種の合理化だよね。
しかし、これはカアチャンに発見されて禁じられた。カアチャンは百マス計算は基礎的な計算力を身につけるための訓練だと認識していたので、その都度ちゃんと計算をしないとイカンと考えたのだ。それこそ、まさに九九を覚えることなのだから。


これが禁じられると、娘は次から次と新しい合理化の方法を編み出そうとし、それをカアチャンに禁じられるというイタチごっこをしていた。って言っても、ぼくはひとつずつは覚えていないのだけど(汗)


確か、自分が解く百マスを自分で作るというのもあったような。で、数字は自分でてきとーに入れるのだ。
マス目を定規を不器用に使いながら書いていたのを見た記憶がある。これもまた大変そうで、気の毒で見ていられなかった。ぼくは自分が不器用で、オトナになっても直定規で曲がった線を引ける人だったのだ(だから、コンピュータの出現はすんごい恩恵だったよ。うん)。


で、娘が最後にたどり着いた合理化の方法は「今日は宿題は出ていない」とウソをつくことだった。明示的にウソをつくのではなく、算数は宿題が出ていないふうを装って、なにもしないだけなのだけど。


■宿題ってやらないとどうなるの
そんなことをしてもじきにバレる(聞かれると目が泳ぐとか、ウソのつき方が稚拙なのだ)。しかし、運良く何日も何日もバレないこともある。カアチャンもいそがしいときはいそがしいし、毎日娘にヘバりついてはいない。私は宿題の面倒など滅多なことでは見ない。
早めに見つかると「やってなかった分を、いまから全部やりなさい」となるが、日がかさむとそうも言えないほどに宿題の量が溜まり、結局はなにがしかの免除を受けられることが多かったようだ。


やっていった宿題はどうなるのかを娘に聞いたことがある。ぼくの時代は宿題は提出すると採点されて返ってくるとか、授業中にみんなで答え合わせをするといったことが待っていた。つまり、やってなければ先生にばれるとか、恥ずかしい思いをするのだ。
娘の場合は、確か、となりの子と取り替えっこして、それぞれに採点するんだったかな。班内で交換かな。なにもしないってことはなかったと思うが、やってなきゃやってないで、あまり抵抗なくすごせたみたい。まあ、先生だって全部を採点できるような量じゃないよね、とも思う。
思うのだけど、「えー?」とも思ったのは確か。


こりゃあウチの娘やぼくらがダメダメだったというだけの話かもしれない。でも、うちの娘は百マス計算で、なにを培ったのだろう。娘がしたような合理化は、ほんとうにNGなんだろうか。


ぼくが子どもたちに課している唯一のルールは「誤摩化すな」でして。
ていうのは、子どもが小さいうちはいろんなルールを作ると混乱するじゃないですか。だからできるだけ少なくしようと考えた。十戒じゃ多過ぎる。
で、あれこれ考えたら道徳律を煎じ詰めるとそうなるんじゃないかと。でもまあ、もちろん成功していません。いまも毎日盛大にいろんなことを誤摩化してますね、娘たちもおれも。ダメじゃん。


んでも、この合理化は、どうもゴマカシじゃないような気がするんだよね。


しかしそれにしても、百マス計算って、本当はなにを目標にするものなんだろうなあ。


■百マス計算がよみがえらせた記憶
娘の百マス計算を見て、ぼくにも似たような記憶があったことを思い出した。
百マス計算ではないのだが、学校の授業でB4用紙にみっちりと簡単な計算問題が出されたことがあるのだ。1枚に50問だか100問だか。それが何枚かあった。確か、1ケタの加算と減算だけだったのではないか。小学校1年生のときだったように思う。違うかな。でも、低学年だったと思う。
あれは勉強ではなかったのかもしれない。なにしろ、国立大学の教育学部付属の小学校だったので、なんか研究目的だとか統計目的とかで、よくわからんことをやらされたりすることがある学校だったのだ(本当はそういうわけじゃなかったのかもしれないけど、幼稚園から中学までそこにいたぼくは、そういう学校だったのだと理解して47歳を迎えている)。


で、ぼくはこういう問題は苦痛でしかたがなかった。最初のうち少しはせっせとやったと思うのだけど、すぐに飽きてしまった。頑張って計算しようと思っても、もう頭にもやがかかって、1問解くのにえらい時間がかかるようになる(こういう体験は何度もしましたね。小学校高学年ぐらいでは「意味が分からない作業は嫌い」というようなまとめ方をしていたと思う。


さて、B4に50問にうんざりしている間に、級友たちはとっとと計算を終えて「さよなら」と帰ってゆく。こちとらは、もう頭がどんより。なにも考えられない。眠くなっていたかもしれない(あ、そうだ。給食を食べるのが遅くて残されたこともあったな。教室のベランダに2人ぐらいで出されて、食べられない給食をなんとなくつついて、先生が「もう帰っていい」と言うまでの時間をやり過ごしていたっけ)。
業を煮やしたぼくは、考えるのをやめることにした。適当に数字をどんどん埋めておしまいにすることにしたのだ。それでも時間は多少かかったに違いないのだけれども、実感としてはあっという間に終わっただろうな。
最後の一人にはならなかったんじゃないかな(それなら覚えているだろうから)。少しの後ろめたさを抱えて、ぼくは帰った……のではなかったか。


■ふたたび「合理化」と「やらないとどうなる」
こんな体験をしているので、ぼくは娘に同情的だった。家内にもそんな話をした。ぼくは、新しい合理化テクニックを見つけ出す娘をほめてやりたいぐらいだったのだ。しかし、娘には必要な計算力がないと考えている家内は、ほめることなんか許さない。
「これぐらいの計算は、ほっといても生活の中で身に付いて、そのうちにできるようになる」「20歳過ぎて、買い物のときに計算ができないやつがいるか?」「宿題さぼって学校で恥をかいたり怒られたりするのも、必要な経験だろう?」というぼくの主張は、「10年後はともかく、今そうしていると、子どもは授業についていけなくなって、理解できない部分が増えていき、落ちこぼれになってしまう」「それ以前に、『宿題なんかやってもやらなくてもいい』という指導をするつもりか。それは約束は守らなくてもいいということにならないか」という家内の正論の前では説得力がなかった。


そんなわけなので、もちろん先生に「宿題、出し過ぎじゃない?」とか「百マス計算って、どうなんでしょうね」なんて話は一度もしていません。ええ。


あ、いかん。明日は朝、1時間目から中学に行くのだった。寝なきゃ。


そうそう。よっぽどスチャラカなんだったらともかく、てきとーにスチャラカじゃないと、生きるのがつらいだろうなあ、とぼくは思っているのであります。無茶?