PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

前提を疑う


高校から大学にかけて、半村良の『妖星伝』(完本)を読んだ。
「この星(地球)には生命が多過ぎる」
「広い銀河に、こんなにも生命が溢れ互いを食らい合う星は、ほかにない」
今となってはうろおぼえだけど、そんなセリフがぼくを小さく刺した。


大学時代、いろいろな社会運動をしている人に出会った。核廃絶食品添加物の問題、公害病の問題、国家による私有財産の収奪(成田闘争)、国家による人権の抑圧(金太中事件・日韓闘争)、エトセトラ、エトセトラ……どの運動にもそれなりの可能性や必要性を感じ、でも、どっぷりと入って行けないものも感じた。


そうした運動家たちが発する「このままでは人類が滅びる」というメッセージに触れる度に思った。
「人類が自らの愚行によって滅びることには何の問題もない。問題は危機に陥るのが人類だけではないことだ、それで他の生命までもが危機にさらされることだ」
直接そう言ったこともある。「面白いことを言う子どもだ」という目で見られただけだったけれど。
半村良に教わったわけではないだろうけれど、それまで漠然とした感覚でしかなかったものに半村良が言葉を与えてくれたのだとは思う。
自分が人類に属するという理由だけで「人類が滅びるような事態“だけ”は回避しなければならない」というのは、あまりにも傲慢で笑い話のようだ。人類をほかのなにか、自分の属する集団に置き換えてみて欲しい(「日本人」なんてどう? それとも「南西東京人」では?)。エゴイズムと言うも愚かな、薄気味の悪い冗談でしかない。


いまだったら、もう少し違う言い方をするかもしれない。
「人類の愚行によって人類自身が滅びることがあったとして、それはただの自業自得だ。そこには何の不道徳も倫理上の問題もない」
「人類が原因で地球上でいずれかの種が存続できなくなるとして、人類にその責任をとる方法はない。そうであれば、人類はそんなことをすべきではない。これは人類が人類を絶滅に追いやることよりも重い問題かもしれない」
そんなところか。ある種のニヒリズムであることに変わりはないけど。


人類なんて一枚岩なわけではないのだから、その一部のために全体が危険にさらされていいとは考えないようになった今でも、同じ思いが腹の底のどこかにある(だって、やはり人類以外の生命には人類一般よりも罪がないとしか思えない)。それなのに、いまのぼくは家族のことを考えている。知り合った誰それのことを考えている。おまけにわが家の猫のことを考えている。ヨウスコウカワイルカのことを考えているよりもずっと長い時間を(すでにこの世界から姿を消してしまったと考えられているモアやリョコウバトや、ニホンオオカミなどのことを考える時間はさらに少ない)。


レッドデータアニマルについて考えている時間よりも、ずっとずっと長い時間を身近な生命について考えることに費やすことは、責められるような無責任なことではないといまのぼくは素直に思える。
「結局のところ、ぼくらはぼくらの手が届く問題を考えることさえ十分にできないのだ。手が届かない問題にまで頭をめぐらす時間が行き届かなかったとして、それが何だというのだ、できることをするしかないのだ」とぼくにささやくのは何者なのかと思いながらではあっても(それにしても、本当にボクのなかの誰なのだ。ヒトとしてではなく家長としてとかなんとかもっと狭い範囲の「責任感」くんか? それとも自責の念から自分を解放する「免責機能(=セルフ・カウンセリング)」くんなのか?)。


こんなブログに来てくれる奇特な人は、鶏インフルの話カワイルカの話はきっと耳にタコなのかもしれない。


でも、インフルエンザとタミフルについて調べてみたことのあるぼくにとって、次の話は重い。


アマミノクロウサギに耐性菌奄美の島々の楽しみ方 2007.09.03)

こうした野生動物の耐性菌→ヒトへの影響を心配しているが、果たしてそれでいいのだろうか。ヒトに影響がありそうだから考えなきゃいけないっていうのはどこかおかしくないだろうか。


ヒトに影響がある、というのは、自分たちの暮らし方のツケがまわってくるってこと。それをイヤだ、というのは我が儘な子どものようではないだろうか。

インフルエンザのときだって必要のない患者にタミフルが処方されることがある。ふつうの風邪でさえも抗生物質が処方されることがある。
ぼくらがノホホンとしているのか、医者がノホホンとしているのか。
いや、ノホホンじゃなくてギスギスしているから抗菌剤やら抗生物質が登場するのか?


話を無闇に大きくすればいいってもんじゃあない。印象で語っても始まらない。それぐらいはわかる。
しかし。


しかし。


負いきれないほどの原罪、そんなことを考えてしまう。