PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

PISA「科学リテラシー」の定義 2


今朝、「海洋学研究者の日常」のhiroichiさんが、新しいエントリ「科学リテラシー(3)」をアップされていた。


さっそく貪るように読む。


最近のシンポジウムで配布された資料から、PISAの考える「科学リテラシーの構成要素」とその「構成割合」が紹介され、次のように語られている。

配布資料には、科学リテラシーの3つの構成要素である「科学的な能力」、「科学の知識」、「科学についての知識」の各々のカテゴリーの詳細が示されているが、ここでは割愛する。私は、科学リテラシーの3つの構成要素のいずれも重要であるが、特に「科学についての知識」を伴わない「科学的な能力」と「科学の知識」は、科学信仰あるいは科学万能主義を蔓延させ、良き市民の指標とはならないと思う。今後、PISA2006で述べている「科学についての知識」を基に、さらに良き市民の指標となる科学リテラシーについて検討したい。
ぼくは教育者でも研究者でもないけれども、この把握には強く共感する。特に〈「科学についての知識」を伴わない「科学的な能力」と「科学の知識」は、科学信仰あるいは科学万能主義を蔓延させ、良き市民の指標とはならない〉のくだりは、「そうそう! ぼくもそれを言いたかったんです!」という思いがする。


ちなみに紹介されている一覧は、去る12月8日のシンポジウム「市民として身につけるべき科学リテラシー」(主催者:CSERS案内PDF)で配布された資料からの引用だそうで、最新のものと言っていい。しかも発表者・小倉康氏は、国立教育政策研究所の方。同研究所は確かPISAの日本における実施主体だったはずで、だとすると、これはほとんど源流からの情報と言える。


この「科学リテラシーの構成要素」と、ブログでの紹介を一読して、膝を打つ思いがしたのだけど、その理由のひとつは、ぼく自身が、「科学の知識」と「科学についての知識」といったふうに分けて考えることがなかったことにありそうだ。


記事ではぼくの先日のエントリ「PISA「科学リテラシー」の定義」にも言及いただいている。
ぼくは、先のエントリでは「科学的プロセス」に触れて〈この「3つのプロセス」というのは、要は「科学的な方法とはどういうものかを理解して、使える」ということを言いたいはずだ〉なんて書いていたのだけれど、〈この定義では、「どういうものか」の中に「科学についての知識」が含まれているかもしれないが、「科学リテラシーの3つの構成要素」の中の1つである「科学的な能力」についての説明に限定してしまっているようにも思う〉というご指摘をいただいてしまった。おっしゃるとおりで、区別できていなかったために、そこまで含めたい気持ちもありつつも、無自覚に限定しちゃっていたように思う。生煮えだったということだ(とほほ)。


今回ご紹介いただいた「科学的な能力」「科学の知識」「科学についての知識」は、必ずしも「PISA2003調査−科学的リテラシー−」で言われていた「科学的知識・概念」「科学的プロセス」「科学的状況・文脈」と、こんな感じで一対一対応するのだろうか。


「科学的な能力」 「科学の知識」   「科学についての知識」
   ⇅        ⇅         ⇅
「科学的プロセス」「科学的知識・概念」「科学的状況・文脈」


そういうわけでもなさそうな気もするが、これだけではなんともわからない(PISAも手を替え品を替えていろいろな形で説明をしているだけなのかもしれないが、ひょっとすると、PISA側も調査を進めるなかで理解を深めているのか、などとも考えてしまうのだ)。


実はこの話題、「科学的リテラシーってなんだ」とか「PISAはなにを考えているのか」だけでなく、「ぼくら(市民)に必要な素養はどんなものか」とか「ニセ科学やら安易なスピリチュアリズムに、なぜ取り込まれるか」と密接につながっていると考えている(ニセ科学の定義問題とさえ関連がありそうに思っている)。そんなこんなでかなり重要な関心事項なんだけど、隔靴掻痒な思いもしている。


もうちょっと血肉化して、わかりやすく語れるようになりたい、と強く思う。