PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

大学とかのWebサイトを考える3


大学とかのWebサイトを考える2」の続きです。


メリットやデメリットを考えるとき、同じ特徴が立場を変えるとメリットになったりデメリットになったりすることがあります。そこで、まず特徴を確認し、その後にそれぞれの立場ごとのメリット、デメリットを考えてみましょう。
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なんか、まじめにやりすぎてムダな手間をかけている気もするけど、まあいいや。


以下、上記の表の各項目について、立場ごとのメリット、デメリットを考えてみましょう。前項とダブる部分が出てきたり、十分に整理されているとは言えないけど、大串さんが気づいてなかった論点でも出てくれば御の字。


■それぞれのメリット、デメリットを考える
「匿名性」の高低や「身元保証」の有無、「内容の自由度」は誰のメリット/デメリットになるでしょう。
匿名性が高ければ、情報発信者は肩書きの制約を受けずにかなり自由に発言できるようになりますが、同時に肩書きで勝負はできないわけですから、情報源としての自分を信頼してもらえるようになるためにはそれなりの努力が必要になります。
所属組織(管理者)から見ると、管理の手が届かなくなりますが、実は歯に衣着せぬ意見が得られる可能性も出てきます。
ビジターは得られる情報が広がるという点は歓迎するでしょうが、信頼できる情報源なのかどうかは注意しなければならないと考えるかもしれません。


「経済的負担」は、管理者からすると所属組織のサーバーを提供すると負担が生じるようにも見えます。税金だの売り上げだのからお金が回ると思えば、利用者にも負担と考えられます。が、多くの場合、その組織の情報を発信したり、組織内での情報共有のためにサーバーはすでに設置されていることでしょう。その余力の部分を当てるのだと考えると、事実上「誰も負担がない」と考えることもできます。


「管理の負担」については、微妙な部分があります。
情報発信者は、誰も管理してくれない外部サーバーを使う場合、自力でほとんどのことを管理する必要があります。インフラの部分(サーバーそのもののメンテナンスや、よくある迷惑行為などへの対処)は、ある程度はサービス提供者がやってくれますが、基本的には自己責任で運営することになります。
組織内のサーバーに置いては、運営方針次第です。情報発信者の自主管理が要求されるのであれば組織(管理者)のコストはそれほど増大しません。情報発信者も、外部サーバーを利用するのと変わりませんから、負担が特に大きいわけではありません。
一方で、どのサーバーでも、組織が内容などに踏み込んで管理しようとすると話が違います。情報発信者の管理コストは少しは減るかもしれませんが、組織は膨大なコストを負担することになります。
管理コストや、誰が管理するかについては、「大学とかのWebサイトを考える1」のこの辺も思いだしてください。全体の管理者がすべてを担うのではなく、管理方針を共有した情報発信者自身の自主管理と並行的な状態が、低コストなようです。


「技術的自由度」については、高いほど情報発信者と利用者のメリットがあると考えることができますが、一方でリスクも発生するでしょう。つまり「静的なコンテンツしかない」ほうが、サービスとしての質は下がることになるかもしれませんが、管理はしやすいし、訪問者もリスクを負わない可能性が高いわけです。


ビジターとしてのメリットでは、「身元保証」の有無(前述の「ユーザー情報の信頼度」)が大きいのではないでしょうか。「そこら辺の無料サービス」や「独自ドメイン」などで身分を明らかにしていても、しょせんは自称です。詐称ではないのか、本当にその身分の人なのかを確認しようとすると、ある程度のコスト(手間ひまや技術、知識)は必要です。また、不確かな言説を行う人ではないという保証はありません。
しかし、所属組織と同一のドメイン下であれば、「そのコンテンツのドメインを確認する」というコストだけで「公的な活動の一環であること」「一定の節度のもとで運用されていること」が期待できます。その人の文章や文体などから読み取れる属性や人柄などだけから質的な保証を得ようとするよりも、相対的にリスクが低いと言えるでしょう(研究者がニセ学位などを履歴に書いている例もあるようですが、外部サーバーでの個人ページではともかく、所属のドメイン下ではかなり珍しいのではないでしょうか)。


■自由に選択できるケースを考える
実際の運用を考えると、Webってのはリンクが可能なわけですから、上記の4種類を縦横に組み合わせたサイト構築も可能です。


実は、ぼくんところが、まさにその状態。フリーランスなので4「所属組織のドメイン下」はありえませんが、「無料サービス(seesaa)」「プロバイダのWebスペース(asahi-net)」「独自ドメイン(kameo.jp)」と1〜3の全部がひっついています(有料だけどdot Macも無料サービスに近いかな。ほかにもmixiとかいろいろ)。それぞれに使い勝手のよい部分があるし、仕事がらあっちこっち使ってみたりするので、無理をしないようにすると、こういうアメーバ状なことになる。
その気になればどんなヤツがやってるのかは、すぐわかるようにしてるつもり。でも、雑然としていてコンテンツ間の関係がつかみやすいとは言えないので、ぼーっと見ているとどこまでが同一人がやっているものか、そもそも、どこで別のサーバーに移動したか、わからなくなるかもしれません。どっかしら何かしらの情報で、同一人の運営だと示すようにはしていますが、実際にどの程度の意味があるか、そういう意味ではわからないです。実名等を明かしている部分もあるのですが、その信頼性を訪問者がどの程度に測ってくれるはわかりません。それどころか、そこに気づく人も少ないかもしれません。


「それぞれに使い勝手のよい部分がある」というのは、ぼく以外の人にとっても同じことでしょう。誰もがどれでも選べるという風通しの良さは意外に重要なことだろうと思います。ひとまとまりのCMSみたいなサイトになってないと、わけがわからなくなるという人は、どれかひとつの選択肢だけを利用するってことでもいいわけです。
公共性の高いコンテンツの場合、情報発信者にとって使いやすい(利用コストが低い)ことは、更新頻度が確保される可能性が高くなるため、そのまま訪問者のメリットになるでしょう。


■「組織の意見と個人の意見の混同」は生じるか
組織のドメイン下に個人ページを設置させると「個人の意見を組織の意見と混同する」という意見があります。
小中高等学校のサイトで教職員が個人的に情報発信をできないのは、おそらくはまさにその発想に基づくものでしょう(容量の制約などもあるとは思いますが、このご時世では最大の理由とは言えないでしょ)。また、多くの法人・団体サイトで、代表者以外の職員などが個人ページを持てない理由も、大きくはこうした発想によるものでしょう。
「職員の個人ページだって組織が管理しなければならない」という考えがあるとしたら、それも同じ土から生まれる発想かもしれません。


しかし、「個人の意見を組織を代表する意見と誤解する」といったことは、現実に至る所で起きています。「業界を代表する意見」ととられてしまうこともあります。原因は、誤認させやすい状況にあった場合もありますが、受け取る側の早とちりの場合もありますし、発信側の説明不足の場合もあります。
おそらく、こうしたすれ違いがなくなることはないのでしょう。もっとも、だから放置していいという話にはなりません。発信側に由来する誤解を減らす努力はすべきです。となると「なにが誤認を起こすか」は、十分に検討する必要があります(当面の話題で言えば、大学のドメイン下に記事がある「から」大学の公的見解と誤解されるのか、ということですね)。


実は、比較的混乱が起きにくいケースがあります。社会通念として、たとえば「もともと個人の発信している情報であることを広く認識されている」というようなケースです。


大学や研究機関の場合、大学が組織として発信している情報と、個々の研究室などの研究成果は、伝統的に別々に見られてきたと言っていいでしょう。文献の引用やマスコミでニュースソースとして言及される場合を思い起こすとわかりやすいのではないでしょうか。見出しレベルでは大学名しか出ていなくても、記事を読み始めると「△△大学××研究室が発表」とか「○○研究所の▽▽教授が発表」と書かれていませんか?
一般論としては「紙の上の話と同じことがWeb上の記事についても言えるのか」は慎重に考える必要がありますが、この点についてもそうでしょうか。「研究成果などは基本的に大学に属するのではなく、個々の研究者に属するものか、せいぜい研究室などの研究機関に属したものと考えられている」という認識は、情報の場所が紙の上からWebサイト上が移ると、途端に勘違いされやすくなるのでしょうか。
もちろん「××大学で○○を研究している研究者だから、その成果は信頼できる/できない」といった評価は業界内部的にはあります。しかし、それは信頼度の問題であって、個人の意見(研究成果)を大学のものと勘違いするなんていう話ではありません。


そそっかしい人で、なおかつ上記のような慣例を知らない人であれば、大学が研究成果の責任をとるとか、大学のサイト上にある記事は内容についても大学が責任をもっていると考えるかもしれません。しかし、社会通念と言ってもいいような前提に関する勘違いまで、情報提供者が責任をとる必要があるとは、通例考えられてはいないでしょう。
従って、このリスクについてはあまり大きく考える必要がないのではないでしょうか。


■自主管理が成立する可能性は? −高校以下や一般企業の場合−
「管理方針を共有した自主管理」がコストも低く、個人ページを組織のサーバー上で公開しても混乱が少なそうだとしても、果たして実際にそれが可能でしょうか。


幸か不幸か、個人ページに類したものは、高校以下の学校では見たことがありません。例外として「校長ブログ」ってのがありまして、小学校ではけっこう見かけるようになりました。が、組織の代表者のページを教員個人のページの一種とみなすのは無理がありますよね。
また、各部署が独自に情報を発信していると評価しても買いかぶり過ぎではないというような高校や中学のサイトは、まだ見たことがありません。大学や一般の企業では、珍しくないと思うのですが。


たとえば私が関わっている小・中学校などでは、教員の個人ページや自主管理される教科のページを提案したとしても、「原理的にはアリかもしれないけど、時期尚早」などという話になりやすそうです。経験もノウハウもないからです。
なぜか。もちろん、作る余裕もなければ、個人ページや教科のページなどの必要を感じてこなかったためですが、もっと根本的には、個々の教員それぞれが社会と直接対峙するという経験やスキルが、これまで必要とされて来なかったのです。保護者や出入り業者、上部構造としての教委を除けば、彼らは学校のなかで完結しており、それで済んで来たのです。
必要な経験やノウハウを蓄積するには、まだ何年もかかりそうです。今後ともできないかもしれません。


一般企業なども、多くの場合は同じ問題を抱えています。企業サイト構築のお手伝いを仕事としてすることがあるのですが、直接顧客とやりとりをする部署でも、ルーティンな相手としかおつきあいをしていない部署では、自分たちの企業の特徴さえ把握できていないのがふつうです。不特定多数に向けて、なにをどう説明していいかさえ、わかっていません。
この状態で、個々の部署が自主管理的に自分の部署のページを運営したり、職員が個人ページを運営するのは難しいでしょう。
例外は、ある程度はバラエティに富んだ顧客を相手にすることが多く、かつ所帯の小さい企業でしょうか。飛び込みのお客さん対応が多いとか、顧客層に共通する特徴を理解していて、その要求をよくつかんでおり、しかも会社全体の動き=それぞれの責任範囲がわかりやすいといったような場合です。


■自主管理が成立する可能性は? −大学などの場合−
ところが上述のケースと違って、大学では、すでに言及したように各研究室のページとともに、教員が自主管理するページがあることは珍しくありません。なかには研究生や院生のページがある場合もあります。
これはなぜか。


前述のようなインターネット黎明期からの伝統もあるのかもしれません。教授会による学部自治とか、研究の独立(伝統的な「学問の自由」ってやつね)という伝統も大きいでしょう。
それ以上に、基本的に研究者や教員たちは個々に社会−−近くは大学当局や学会、遠くはマスコミや一般企業−−と向き合って来ざるを得なかったからではないでしょうか。たとえば、大学が学会発表の面倒を見てくれたり、マスコミ対応をしてくれるわけでもありません。なんでも自力で対応をしなければならないわけです(一般企業では、だいたい広報とか宣伝とかの専門部署がやってくれますよね? 学者さんといえば世間知らずみたいなイメージがありますが、実はそうとばかりも言えないんじゃないの? なんてことも思うわけです(^^;;)
少なくとも、すでに自治、自主管理という運営方針に馴染んでおり、それを成立させる土壌があるということは言えそうです。


どうやら、「管理方針を共有した自主管理」ができる環境があるとしたら、現実問題としては大学かそれに準じた組織、ということになりそうです。すでにそうした状況だという大学も少なくないのではないでしょうか。
もちろん、大学であろうがあるまいが、上述のような「程度」は異なることでしょう。こう考えてくると、「大学なら」と単純に一般化するのではなく、「その組織の理解度と経験値」などに応じて是非を考えるべきという、当たり前の話も出て来ますね。


それにしても、個々の教職員の活動と組織の関係について、高校以下では経験値が低いというか、そもそも経験を積む機会がないんだなあという印象です。小中高等学校と大学では文化的な違いというのもあるのかもしれませんが、個人的には、なんとか変わって行ってほしいところです。


次でちょっと違う観点から考察して、この一連のエントリを終えます。
なんかタイトルとはいまひとつ合致してないくさいけど。