PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

「蒼龍のタワゴト」で「クオリア」を知る


コメント欄に要約あり。言いたいことを全部、とても短く書けた(;_;)


ぼくはテレビをほとんど見ない。勉強もあんまりしていない。最新の知見とかいうのには、ひどくうとい。
で、そういうボクなので、クオリアという単語は知っていたけれども、それがどういうことなのか、ほとんど理解していない。中学生の頃に読みかじった「イデア」とか、同じ頃に読みかじった不可知論とかとどういう違いがあるのか、全然わかってない。


単に「怪しげ」という印象があるのみだ。


だもんだから、昨日あたりもコメント欄でクライオ処理に引っ掛けて「クオリア処理」なんて茶化しはする。でも、よくわかっているわけではない。


が、どうももうちょっとダメな話だったのかもしれないということを、さっき知った。下記のエントリを読んだのだ。


日本の俗流クオリア論を撃破する(蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- 2007-11-14)


クオリアといえば茂木健一郎氏で、茂木氏といえばクオリアではある。
もうちょっと言うと、ぼくの茂木氏の印象は「テレビで脳とか認識とかについて粗雑な話をすることがある人」「ソニーの研究所の人」「脳力開発とかいう怪しげな本をたくさん監修している人」「怪しげな人とも平気で対談する人」「そういえば水牛楽団の人と噛み合わない対談をした人」という程度。
ソニーの研究所というのは、ケータイの辞書の開発なんかでちょっとすげえと思ったこともあったけど、ぼくはおおむね「ESP研究以来どうも怪しげという伝統がある」と思っている。井深大氏や天外伺朗氏のようなわかりやすい「指向」の人の例もあるし。
水牛楽団高橋悠治氏との対談は、高橋氏にいいようにいじられたとしか思えなかった。


つまり、総じて「あんまり信用できそうにない」「なんでしょっちゅうテレビに引っ張りだされるのかわからない」、乱暴にいえば「クオリア芸者」だけど「よく知らないので言及できない」というレベルの印象。


最初にこのエントリを読んだときは、やっとこさっとこ最後の「追記」までたどりついた瞬間に「ほえ?」となった。

追記
以上のクオリアの本来の定義から、クオリア脳科学を含む科学一般で扱えないのは自明である。(略)クオリアは初めから哲学的問題であって、どうやっても科学で扱えないのは定義上から自明(クオリアを科学で扱おうするのは挑戦的だとか、そういうレベルの問題ではない)。
それ、最初に言ってくれ(^^;;


しかし、このエントリが正しいのだとすると「クオリア」が怪しいのではなくて、「茂木流のクオリア話」が怪しいのだ。これは「森『ゲーム脳』説や、川島DS的『学習療法』説のせいで、脳科学が誤解にまみれて地に落ちていく」という話と、同じことなのかもしれない。


ぼくにはハードルが高すぎて、エントリの内容の評価はできない。そもそも「俗流クオリア論」をろくに知らないのだ。書かれていることを理解できたとはまったく思えない。
そういうレベルなので、「茂木健一郎クオリア論はダメだという確信をもった」のではない。「その道の人間から見るとダメダメな話だぜ」ということしかわからないので、前述のように「どうももうちょっとダメな話だったのかもしれない」なのだ。


今回、エントリの内容を理解しようとしてググってみて驚いた、クオリアイデアも、会社名やサービス名などで、とーってもたくさん使われているのだ。なにか、人の関心を引きつけるキーワードなのかもしれない。


というわけで、この辺に関心のあるあなた、上記エントリを読んでみてくだされ。で、ぼくにもわかる「俗流批判」なエントリでも書いてくれたりすると、とてもうれしい(^^;;




余談:
白状すると、ボクはこのエントリに書かれていることのほとんどは理解できんかった(白状しなくても「理解できたとはまったく思えない」ってすでに書いてるじゃん)。最初は文脈を追うことさえできんかった。
そうなのだ。「知らない言葉がこれでもかこれでもかと出て来て文脈さえ追えない」という体験を、久しぶりにしましたぜ。これでも少々なら「脳内で伏せ字にして話の筋道だけ追って行って後で調べる」ってなこともできるつもりだったのだけど、今回はそんな生易しいもんじゃなかった。「心の哲学」なんて、最初は一般語かと思って読んでたもん。知らないにもほどがある。


で、そんななのに、どうしてまた歯を食いしばって(大げさ)このエントリを読もうとしたのかというと、誰かのブックマークかなにかを経由して、こういうエントリを先に読んだのだ。


俗流クオリア論批判を宣伝してくれる人募集(蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- 2007-12-04)

みんなして疑似科学批判には懸命なくせに、こういう大物の批判はろくにしてくれない*1(せいぜい批判が自己目的化した内輪受け)。
*1:無知な大衆を騙している点ではマイナスイオンクオリアとで私にはさっぱり区別がつかない。
えー、そうか、そうなのか、と思いつつ、前述のような「茂木という人は怪しげ」という印象はもっていたので、思いっきり予断に満ちた目で興味津々で読み始めたわけだ。


で。


ぼくには歯が立たない問題だということと、それでも「やっぱりかなり怪しげ」ということだけはわかりました(^^;;


しかし、きっと仕事ででも強要されなければ死ぬまで「俗流クオリア論」の本を手に取ることがないであろう私は、このままではいつまでも理解不能だろうということも確信しました(爆)


疑似科学ニセ科学を批判している人が俗流クオリア論を批判していないのだとして、その理由はなんなんでしょうね。
2/26 16:20加筆:たとえばぼくの知っている範囲でも、poohさんの「Chromeplated Rat」では以前から茂木氏の著作に関する言及は何度かされている。ちょっとググると「近ごろ茂木健一郎氏に対するクオリア批判のようなテキストを色んな所でときどき見かけます」(「反クオリア〜不如意的BLOGing 2007.11.06)なんて書いている人もいるので、誰もろくに批判してないというわけでもないのだろうと思う。が、マイナスイオンに比べて話題にしている人が少ないってのもまあ、そうだろうな、とは思うというぐらい]
みんながみんな、ぼくのように「俗流も本流も、どっちも知らない」「認知科学とかを、そもそも知らない」わけでもないんだろう。「俗流クオリア論」に関心をもたなかったから内容までは知らない、なんていう人もいそうだ。また、誤りを理解できていても「どっちでも実害がないからいい」と考えている人もいそう(本当に実害がないのかどうか、それさえぼくにはわからない)。


メディアでちらっと見かける茂木氏はいかにも粗雑でダメな印象を与えるとは思う。思うのだけど、「え、こいつかなり危ないんじゃない?」「こいつの著書をチェックしてみなきゃ」とまでは思わせない……のかもしれない。ダメさ加減が門外漢にはわかりにくいってことなのかもしれない。


なにしろ、ボクにはわかってない部分が多すぎて、よくわからないのでありました(汗




以下、ボクが知らなかったりわかってる自信のない言葉などあれこれ。もしも誰か「よし、書いてやる」という人が現れたら、ふつうの人はなにがわからないかの参考にしてくだされ(俗流クオリア論を読んだことのある人なら、ここまでひどくわからないってことは、ないのかもしれない。ぼくも、かじったことがある言葉や、ググって、なんとなくわかったような気になった部分もある。だけど、これを読んだおかげで「ああ、オレが知ってるつもりだった『イデア』とか『不可知論』とかも、思いっきり俗流なのかも」なんて気もしているのだ。できれば、ちゃんとした説明つきで読んでみたい(^^;;)。


それなりに理解しないとどうにもならなさそうなもの:
・機能主義
ゲシュタルト現象
(どっちもググればだいたいわかる気もする。ってことは、ちょこっと説明を加えれば足りそう)
・結びつき問題(俗流らしき説明に頻出する『赤い色の赤いという感じ』ってやつかな?)


事例がほしいもの:
・機能主義では理解不能な究極の主観性の事例
・主観的体験全般を指す俗流の説明の事例
・主観的な個人差全般を指すような俗流の説明の事例(文中の“各個人にはその人特有の内的に生き生きとした感覚が生じていること”って説明でわかるような気がするけど、いまいち自信がない)
・感覚質としてのクオリアの存在は自明だとする俗流の説明の事例
クオリアを擁護しないと個人の尊厳が失われるとする俗流擁護論
・神経ネットワークの同期をクオリアに関連付ける俗流擁護論の事例


文中の説明でだいたいわかる気がするもの:
独我論
・汎心論


全然わかってないけど、わからなくても俗流のおかしさを理解することはできそうな気がするもの:
心の哲学
認知科学
・仮現運動
・いきいきさん批判
デリダ脱構築的批判
・初期ロマン派的批判
・物象化の罠


それにしても、キーワードになりそうな言葉を、ほぼどれもこれもみんな知らないってことだ。上記エントリを書いているdeepbluedragonさんには気の毒な話で……(汗)。