PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

「口コミ」を騙る


確定申告が月曜日に滑り込みで終わり、某原稿を水曜の朝に脱稿し、昨夜は昼夜逆転した生活を正常化するためにマンガをごそごそ買い込んで読みふけった。よしながふみ西洋骨董洋菓子店』すごいね。


一夜明けると、クチコミブログ(http://pickup.raindrop.jp/index.php)ってところからトラックバックが3連発で来ていた。どうやら、以前「し、しまった、『なるほど! KEYWORD』にノせられた!?」(2007年04月10日)で言及した「なるほど! KEYWORD」と同様の仕組みらしい。誰かが検索すると関連エントリを自動収拾してリンクを生成する。リンクをクリックすると、トラックバックを送りつけるわけだ。これも「問答無用で消していいトラックバックを生成するサイト」のひとつだな。


が、ちょっと「あれ?」と思ったのは、ググると違うサイトが出てくる。


クチコミブログ
http://www.kuchikomi-blog.jp/

クチコミブログとは、あなたのブログに企業の商品を紹介してもらうサービスです。
実際にサンプルを使用していただき、感想を書いていただくこともございます。
世の中の新しい商品の情報発信源になってみませんか?
クチコミブログは、女性(特にF1層)をターゲットにしたサービスです!
※ブログに掲載いただいた方には、100円〜3000円(目安)の謝礼をお支払いしております。


全然関係ないじゃん。


でも、「口コミ」と名乗る2つのサイトのおかげで、思い出したことがある。


つまり、どっちも「口コミ」を装い、「口コミ」というものの信頼感によりかかることで成立しているのだが、同時にイヤも応もなく「口コミ」をおとしめていくツールなのだ。


思い出したものは3つ。


ひとつは「チェーンメールをうっかり信用してしまう理由」。すなわち「自分をだまそうとするわけがない、身内や知り合いといった人から来る」という構造だ。自分にチェーンメールをよこした人は、そこで発信されている内容に対して利害関係をもたない第三者であり、自分に害をなす理由がない、だから信用できるという理屈。「利害関係者はウソをつくことがあって信用できない」という話が染み付いているのだろう。


もうひとつは「ニセ科学は『科学を装う』というが、どうなれば装っていることになるのか明らかでないからどうのこうの」という馬鹿げた話。


そして、「ネット上の言説なんて便所の落書きと同じ」とか言う人のことも。


そういうことを言う人たちは、それぞれこうしたブログサービス(これがサービスか? という疑問はあるが)もまた、うっかり信用し、「『口コミ』を装っているかどうか明らかでない」と考え、「これだからネットは便所の落書きだ」と言うのだろうか。言わないよね、きっと。
じゃあ、こういうサービスを信用するのかというと、そうもいかないだろう。で、「困ったね」という話になるのかな。


あなたや我々をだますのは、「善意」や「悪意のなさ」といったものでもある。つまり、だまされている人は、だましている自覚なしに、第三者をだますのだ。それが最愛の人であっても、自分自身であっても。


なにかを装うのは容易だ。一見して紛らわしければよいのだ。「良いオトナならだまされない」とか、「小学生でも知っている」、だから条件として不確かだという留保は不要だ。知らなければ錯誤する、だまされるのだから。


ゴミや雑音が混じっていること、また、その比率が高いことは、確かに価値を下げるだろう。ただし、その完成度を問うならば。フィルターを手入れして目詰まりを防いだり、なんでも素通しするザルにしないための「メンテナンス」を、自分ですることが必要なツールは確かに「あまり便利ではない」かもしれない。しかしそれはメンテナンスフリーな方が便利だ、という程度の意味しかない。
精巧な道具はメンテナンスフリーではあり得ない。メンテナンスフリーでないことが著しく価値を損なうのは、大衆消費財とかなんとか、そういうものだけかもしれない。
むかしの鍋は、使った後はしばしばガシガシと磨かねばならず、テフロン加工やらステンレス鍋やらと比べれば不便だったかもしれない。むかしの包丁は、すぐに切れなくなって研がねばならず、いまどきのステンレス包丁と比べれば不便だったかもしれない。だが、それで「鍋や包丁なんかゴミだ」という話になるだろうか。


唾棄すべきは、こうしたタダノリで金やらなにやらを稼ぐ方法を考案して実行する心性だとか、紛らわしさを利用して価値ありげにふるまうことだとか、自分や周囲の人がだまされやすいナイーブな存在であることを不問にしたまま「ダマす人が悪い」ということだけを言い募る無責任さだとか、便利さと有用性という別々の価値を混乱させた強弁だとか、そういったもののはずなんだが。


こういう「サービス」を考えついてしまう人や実行してしまう人は古くからいる。そういう自堕落でこすいところのある生き物なのだ、人間は。そして、いつになってもそれを見逃したり助長してしまう人間もいる。だが、それはすべての人間が出来損ないだとかダメなものだということではない。「そういう人もいるし、そうではない人もいる」のだから。


んー、まだなにか書き残しているような気もするけど、これから立川へ木下サーカスを家族で見に行くのだ。またね。