PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

ビリーバーをつなぐメビウスの輪

かねがね一部で不思議がられていた「どうして『とんでもA』のビリーバーさんと、およそ関連性のなさそうな『とんでもB』のビリーバーさんが手をつなぐというようなことが頻繁に起きるのか」という現象について、NATROM氏が興味深い情報を提供している。


911陰謀論と千島学説の関係は?(NATROMの日記 2008-03-21)

まとめると、千島学説―ケルヴランの生物学的元素転換―常温核融合純粋水爆―WTCビル崩壊自作自演説というわけ。千島学説―現代医学否定―ユダヤ陰謀論―WTCビル崩壊自作自演説という連鎖もあるので、輪が閉じて一周する。美しい。
うお……、これ、なんてメビウスの輪


半信半疑の人には、これだけでもインパクトのある話だろう。自分がNGとして棄却したものがこのメビウスの輪の中に位置づけられていれば、ほかの話も眉につばをつける動機になるかもしれない(もちろん、いったん棄却したものを再検討する理由にされてしまうかもしれないけど)。


もちろんNATROM氏も書いておいでのように、「単に自然科学の素養に欠けるから、とか、権威に反対するのがデフォルトだから、とか、そういう理由もあるだろう」という指摘は誰しも思いつくところで、それが否定される必要はない。「敵の敵は味方」という勘違いもあるだろう。


ただ、今回の事例を知って「やっぱり」と思うところもあった。ビリーバー氏たちには、彼らなりに合理的だと考える理由があるのではないか、そういう気がずっとしているのだ。酒屋の若旦那の話やらあっちこっちでも書いたように、彼らなりの検分はしているに違いない(「神の手」の写真を波動測定器にかけた人だっていた)。単にそれが「ほかの人にとっても有効とはとても言えない」という部分があるだけの場合もあるのではないか。


たとえば、黒影氏は以前科学というモノサシ(幻影随想 2008年01月28日)で「科学というモノサシの欠如」という言い方をした。これを、ちょっと言い換えて「科学とは別のモノサシを採用している」とか「個人的には科学だと信じているナニか別のモノサシ」とか言ってもいいのかもしれない。


実を言うと、「科学」を軸に持ってきて語れることが自分にはとても少ないと感じている身としては、「科学」の代わりに「合理的判断」あたりを持ってきたいところなのだが、先にも書いたように、彼らは彼らなりに合理的だと判断しているのだとすると、これはおかしな重言もどきになってしまう(「馬から落ちて落馬する」ではなく「馬から落ちずに落馬する」みたいな)。でも、合理的であろうとすることと実際に合理的であることは別のことなので、それでもいいのかな(「馬から落ちまいとして、かえって落馬してしまう」とでもなるか)。


そう言えば、今回のケースのような「個々の事例の中に誤謬が混入しているケース」もさりながら、事例の関係の中に誤謬が混入するケースも多そうだ。典型的なのは「正しいと認められている事例と構造がそっくりだ。だからこちらも正しい」の類いか。相関と因果の混乱もそうか。
これが同時に起きていたら……「なぜ信じるか」「なぜつながるか」は、余人には理解不可能かもしれない。


極端な一般化はまずいけど、ついついあれこれ考えてしまう春の夜なのだった。