PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

親の収入と子どもの学力の関係:ペアレントクラシー

8月4日から5日にかけて、「親の収入と子どもの学力に相関がある」との調査に関する報道があった。


読売の見出しは、最初は「子供の学力向上、低所得でも親の心がけ次第」だったが変更されたようだ(参照)。


貧乏人の子どもがろくな環境を得られないのは今に始まった話ではない。それがこれまでの政策を持ってしても是正できていないことが、改めて確認された、ということになろうか。
収入以外の要素についての言及が、媒体によってかなり異なる。上記の記事のうち、その点に言及しているのは下記。

 研究班は、年収が同レベルの中で比べて、成績が良い子どもに共通するものがあるかどうかも分析。「保護者がニュースについて子どもと話す」「小さい頃に絵本の読み聞かせをした」「家に本がたくさんある」などの項目が当てはまったといい、「幼児期から学校の学習になじみやすい家庭環境をつくることが重要だという示唆」「経済環境による学力差を緩和するカギを握っている」と指摘している。
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY200908040419.html
 親が心がけていることについて調べたところ、高学力層の子供の親は、「小さい頃から絵本の読み聞かせをした」「博物館や美術館に連れて行く」「ニュースや新聞記事について子供と話す」といった回答が多かった。このうち、「本の読み聞かせ」や「ニュースを話題にする」は、親の所得に関係なく学力向上に一定の効果がみられたという。
 調査では、学校での取り組みも調べた。家庭環境にかかわらず、児童にあいさつを徹底したり、教員研修を積極的に行ったりしている20校では、学力向上に一定の効果がみられた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090804-OYT1T00957.htm
 正答率の高かった子の家庭はニュースや新聞記事を話題にしたり、親が言わなくても子どもが自分から勉強したりする傾向が強いことも分かった。同じ年収でも「小さいころ、絵本の読み聞かせをした」「家に本がたくさんある」という家庭の方が正答率が高かった。
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080401000722.html
 高学力の子供の親は本を読み聞かせたり、ニュースなどについて子供と話すなどしていたという。ただし、親の所得とは無関係に、そうしたことをやらせていた子供には一定の学力向上の傾向が現れた。
高所得の両親の子は高学力(文科省調査) | ゆかしメディア|『ヘッジファンド』から『慶応幼稚舎』まで | 1


こうした報じられ方の違いについて、こんな指摘もある。

新聞記事は、所得とテスト結果の相関に関して、論調が別れる。
読売は、データを示した後に、その主眼が格差対策として親の心がけや学校教師の心がけの話しだけをする。
共同通信は、「低所得者の支援があらためて課題」と心がけに限定しない記事となっている。
朝日新聞も「教育費の公的負担のあり方が一層議論に」に財政支出に言及する。
これらにわずかに違いがある。全体としては、読売タイプの部分が多い。その意味は、所得格差の結果を、個別の学校や教師、そして何より親の責任に帰していく議論が相変わらず主流だということだ。そういうことでは対応できないという結果なのに!
読解力は政治的な立場と相関するのかも知れない。

また、一部の報道や言及では「収入と学力の相関については初めての調査」みたいなことが書かれているようだが、誤りというか「文科省が実施している全国学テについて、その観点から調査をしたのは初めて」ということかな。


調査に当たったお茶大の耳塚副学長は、これまでにも同様の結論の調査結果を発表している。その意味ではブックマークコメントなどでの「この人に調査を依頼したところで結論は見えている」という指摘は、理解できなくもない。

耳塚教授の研究調査は、子どもの学力と家庭所得の相関性の有無を、首都圏にある人口およそ25万人の市に住む小学6年生およそ1200人と、その保護者を対象におこなったものです。


耳塚氏の主張は「視点・論点」に最も簡潔に、次いでベネッセのインタビューで少し詳しく述べられている。思い切り短くすると、およそ「近代以降、人材の選抜は努力や能力に基づく業績主義(メリトクラシー)で行われていると理解されて来たが、近年では生まれつき──保護者の願望や能力で選別される(ペアレントクラシー)ようになってきており、その傾向がいよいよ強くなっている。これはマズいんじゃないの」といったところか(ただし、大都市圏と地方では学力格差の原因も現れ方も異なる。ペアレントクラシーは大都市圏で顕著であり、学力の二極化を支えている。地方では学校間格差=教師の能力差が学力格差の原因……といった留保がなされている)。


今回の発表については、お茶大サイトにも文科省サイトにも、いまのところ詳細資料は掲載されていない。だから、報道で知りうる範囲で考えるしかないのだけれども、ぼくが最も気になるのは「文科省は、それを確認・発表してどうしたかったのか」ということだ。2000年頃から文科省初等教育に関する方針は「現場(県単位、市町村単位、学校単位、地域単位)で裁量できる範囲をどんどん広げるから、現場が自力でなんとかしろ」というメッセージにあふれている。その点では一貫している。ゆとり教育路線を堅持するのであろうが捨てるのだろうが舵を切り直すだけなのであろうが、関係ない。「現場でなんとかしろ」という方向にはブレがないように見える。


耳塚氏の主張は、ペアレントクラシーが強化される傾向を問題視しており、「だからこそ政策的に格差是正が図られなければならない」というものだ(違うかな。違うかも。単に「実情をちゃんとつかもう」ということなのかもしれない)。下記の記事に見られるような観測(“政府内で教育政策を「人生前半の社会保障」として位置づける流れが生まれた”)が的を射たものならば、文科省も同じ考え方でありそうに思える。

だとすると、前記のような方向性は単に「ないソデは振れない」という時代の方便に過ぎなかったのか。それならば、文科省は予算の取り合いに負けてるときは現場にすべてを押し付ける、というだけかもしれない(文科省に限らず、そんなものかもしれない)。その場合、予算が取れそうになったら、今度は現場に委譲して来た手綱を取り戻そうとするのではないかという懸念も生まれる(コミュニティスクール構想など吹っ飛びそうな気もする)。


文科省について憶測をたくましくしてもはじまらないけれども、耳塚氏の調査結果は、氏の主張と真逆の「格差の原因は家庭に由来するのだから、学校や行政がじたばたしても始まらない」という個々の家庭に責任を還元する主張にも利用できそうな面ももっていることは各紙の報道にも現れている。そのことは忘れない方がよさそうだ。