PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

「教科書にマンガ」に思う


Interdisciplinary:漫画教科書(2007年4月 1日)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_274f.html

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 漫画教科書 高校生向け数学2で初登場 意見付き半分削除


私は、こういう企画には、大賛成です。どんどんやって欲しい。

そうなのかあ。。。


すでに、けっこうマンガは教材の中にたくさん取り入れられています。教科書でも、マンガで叙述こそされていないけれども、マンガ的なカットは無数に出てくるし、石子順造あたりのマンガ論も国語の教科書に出てた(いや、高校の入試問題だったかな?)。
でも、ぼくは教科書にマンガや軽音楽なんかのサブカル的なものを載せてほしくないなあ。個人的な感傷のような気もするのですが、対抗勢力が取り込まれてしまうような哀しさがあるのです。


論にもなにもなってないのですが、ぼくの気持ちを列挙すると「サブカル的なものの魅力が失せてしまう」「カウンターカルチャー的なものの役割がぼやけてしまう」「教科書的なものから逃げる場所がなくなってしまう」、だからとっといてくれ、という感じかなあ。ムスメたちの教科書を見ても、サブカル的なものが載っていることがうれしいとはとても思えなくて。
自分自身が中学生だった1970年代前半には、逆に、サブカル的なものが教科書に出てこないのが不満だったんですけどねえ。
70年代の全共闘的な学生運動新左翼運動を振り返るような書籍などが80年代にありました。あれは懐古本カタログ本などの商品として消費されたのだと思えてしまうのです。もともと商業と切り離しづらい軽音楽やマンガなどのサブカルは、さらに容易に体制内化されるよなあ、なんて思ったり。。。


作品としてちゃんとしてないのが載るのもイヤだけど、でも、ふつうの文章だって教科書がオリジナルで起こしているものって凡庸なものが多いからなあ、小中学校の教科書って。その点、多くは望めないんじゃないかしらん。


「教科書が魅力的になる」「勉強が魅力的になる」ってそういうことじゃないんじゃないか、とぼんやりと思ったりもする。もっとも、わたしも同じようなことしちゃうんですけど。学生時代からタテ看にコマ割りして丸文字使ったりイラスト入れたりしてたし(後輩に、学生大衆への迎合とか媚びとかいうて批判されたなあ)。
なんていうか、無意味にわかりにくい教科書はいただけない。大学時代(古いだけの三流私大)の法学だか哲学だかの教科書がひどくって、「これ書いたやつは頭が悪いんじゃねえか?」とか怒りながら、端からノートにまとめ直した記憶があります(内容が難しかったのではない証拠に、このノートで勉強して試験を受けた連中は端からAをとりましたよ。もっとも、私は試験にも行かずにパチンコにはまっていたバカですけど)。でも、これは単に表現とかの程度が低いのはいただけないってことで、ふつうのクオリティを満足させていればいいんじゃないのかなあ。


[投稿者が「六@渋研X」になってますが、「亀@渋研X」の誤りです。すいません訂正します。でも、どうやって直せばいいんだか忘れてしまいました。とほほ(2007.4.3)]