PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

「ひだる神」のせいにすんなよ


さっき、コメント欄でTAKAさんとお話をしていたら、アマビエという妖怪の話が出てきました。



アマビエ(アマビコ)wikipedia



知る人ぞ知るというべきか。いやあ、妖怪の世界も奥が深いです。
それで思いだした話があるので、ちょっとご披露。明日にでも、なんて言っていたのだけど、書いちゃいました(^^;;


以前、友人と共同で事務所を借りていたことがあります。
神宮前のビクターのスタジオの近く。このスタジオが、幽霊が出ると評判のところで。
事務所で机を並べて、ずーっとカチャカチャと黙々と原稿を書いていたりすると、ときどきは怪談話っぽい話もするわけです。
「霊が出るとかって話が多い場所って、なぜか電磁波とかが多いところらしいんだよなあ」なんて話をしたり、「あの横のトンネル、近くを通るだけでも変な感覚がすることがあるよなあ」なんて言ったり。「あのトンネルって、墓地だったんだってよ。だから工事のときにはボロボロと人骨が出たって」なーんて。



その事務所でよくしていた話に「ひだる神」なんてのがありました。
「ひだる神に憑かれたみたいだ」なんていうんです。
簡単な説明はここら辺、もちょっと詳しくはここら辺がオススメです。詳細を知りたい方は検索結果の方で(^^;;
山道での話がメインですけど、ぼくらは「街にもいるよねえ」でした。「どうにもならない倦怠感に急に襲われて、どうしても仕事ができない」のがそれです(爆)



いや、まあ、友人は山でもそういう体験をしています。「シャリバテかなあ、いや、それとも違うと思うんだよなあ」なんて言っていたように思います。けっこうマジに「いやあ、またひだる神に憑かれちゃってさあ」なんて、お互いに言っていたものです。そう、事務所を引き払ってからも、電話で言ってたこともあったなあ。



どなたかもkikulogあたりで書いていましたが、山屋さんはいろんな体験をしていますね。それこそ超自然とか超感覚的知覚とでも言うしかないような体験とか。
この友人も山屋で、同時に二輪のライダーで。生死ギリギリの状態ではセンサーが爆発的に機能するのか、いろーんな体験をしています。引きこもりでセンサーが麻痺しっぱなしのボクとは全然違う(^^;;



コメント欄でも紹介しましたけれども、「個人的体験」というものについては、kikulogでもこんなエントリがあります。



個人的事実と客観的事実、あるいは合理と非合理(kikulog 2006/9/4)

こういう「個人的事実」は、まぎれもない事実だけど、他人とは共有できない。今の場合、客観的な事実は「実は取り込み忘れた洗濯物」ということで、これは他人と共有できる。「事実」にはこのふた通りがあって、それはどちらもまぎれもない事実であるということは頭にいれておいていいでしょう。
 


ニセ科学は「個人的事実」と「客観的事実」の区別をつけていない場合が多いのですが、一方、ニセ科学批判をする側も「個人的事実」についてまで「嘘だ」と言ってしまう場合がままあって、それはそれでまずいのだろうと思います。「個人的事実」も、その個人にとってはあくまでも「事実」なので、嘘だと言われても困るだろうし、反感を買うだけでしょう。その「事実」は他人とは共有できないのだ、ということをうまく伝える努力をしたいものですが、難しいよね。

それはそれでもっともな話で、大事な話でもあるんだけど、ここで言いたいのはちょっと違う。



そんな「ひだる神」とか山や街での信じられないような体験の話をしていると、やっぱり「不思議だよねえ」「なんかあんのかねえ」「あるんだよなあ、きっと」というような話にもなります。なるんですが、同時に「人間の感覚の不確かさ」とか「研ぎすまされたときの鋭敏さ」とか、そういうことも頭にあるんですよね。
わかってないことや、自分では知り得ないことがたくさんある。それを片端からもののけや、超常現象ってことにしちゃったら、彼らアウトドアでギリギリのところで生きる人は、それこそ自分の命に関わるんでしょう。もちろん、自分の体や技術だけだと凝り固まっても、同じことでしょうけれども。



「わかんないこと」「不思議なこと」は、人間の体にもココロにも自然にもたーくさんあって、「こうじゃないか、ああじゃないか」といろんな研究がされていて。わかってくることがあると、もっと不思議なことも出てきて。心理学や物理学や宇宙科学や、いろんな探求がそんなふうにワクワクを広げてくれている。
もちろん科学だけじゃなくてもいいんです。要は人間って、ずーっと探検や冒険をしているんですよね。体も頭もフルに使って。
それを安直に、スタジオにてんと座って、もののけだか霊魂だかなんか「だけ」で片付けちゃうのは、ちょっとズボラすぎる、全身全霊でいろんな探求をしている人たちに失礼過ぎるよなあ、ひょっとして、「ひだる神」やられてて、ちゃんと考えたりするのが面倒だったんじゃないの? なんて思ったりもするのです(^^)