PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

安斎育郎さん「霊に惑わされるな」


読売新聞の「くらし」面で8月14日から「なぜ?スピリチュアル」という連載が始まっている。毎日掲載するらしく、本日で3回目。びみょうーに肯定的なように見えて、ちょっと気になるもので、Webでも見られないかと思ってYOMIURI ONLINEを見に行ってみた。そしたら前項の書評と、下記の記事を見つけた。


霊に惑わされるな 立命館大学教授 安斎育郎さん 66(読売新聞 関西版 2007年02月07日)
http://osaka.yomiuri.co.jp/kokorop/kp70206a.htm


安斎さんは知っている人は知っている、立命館大学の教授にしてジャパン・スケプティクスの代表だった人。

 その安斎さんが「輪廻(りんね)転生」は、科学的事実だと言う。
ええー? と思ったワシは考えが浅い人でありました。


 たとえば人体の約18%は炭素原子。僕が死んで火葬され、体内の炭素原子が二酸化炭素の形になって、上空10キロまでの地球の大気に均一に散らばったとする。計算すると、ブラジルでも北極でも空気1リットル中に“安斎ブランド”の炭素原子が13万2500個も含まれる。我々は死んでも世界中にはばたき、それを取り込んだ生物がまた、人の体に入って巡っていくのです。


 この考えをメディアで紹介したら、一人の女性から手紙が届いた。「感動して涙が出た。夫は死んで終わりだと思っていたが、輪廻している」と。


 ミミズを見て、いつか人間になるかもしれないと思う。この机も壊れて焼かれた後、そのうち人になるかもしれませんよ。

これを読んで考えたのは「スピリチュアル・ブームというのは、ある種の病いだと言えるのではないか」ということです。病いなのだとすると「その認識は間違っている」とだけ言ってもはじまらない。


いや、正確にはこの記事だけでなく、連載記事の微妙な論調もこう考えさせる原因になってるかな。たとえばスピリチュアル・カウンセラーを採り上げた第2回にいわく。あるスピリチュアル・カウンセラーは「最近、自分の本当の心を知りたいと話す人が増えたという」し、別のスピリチュアル・カウンセラーも「『頑張っても結果がでないこともある。でも、自分を認めてもらいたい』。そんな心の奥を、その人に変わって伝えると、泣き出す人もいます」と言うんですから、病いも重篤です。


多くのスピリチュアル・カウンセラー利用者(クライアントと言ってもいいのか?)は、必ずしもかつて宗教に救済を求めて走った人たちのように、肉親の理不尽な死や病気といった特別な事情があるわけではないようです。日常に疲れているみたいなんです。
世界が中途半端でとらえきれないことに疲れ、なにが正しいのかわからないことに疲れ、自分がやっていることに自信が持てなくて疲れ、みんなもう疲れ果てて心弱くなっているのはわかる気がします。これは想像に過ぎないけれど、「もっと確かなもの」が欲しいのだろうなあとも思います。
そんな状態の人に「あなたは世界と対峙する覚悟ができていない。つまり近代的自我確立できていないのだ。平たく言えば、オトナとして自立できていないのだ」とか「もっと強くなりなさい」と言ったって、より追い込んでしまうだけに違いないですよね。もしも彼らは鬱病のようなものなのだとすれば、必要なものは治療であって励ましではないでしょう。ましてや断罪ではさらにないはずです。


だとすると、彼らに届く言葉は、たとえば安斎教授が言うような慰めなのかもしれません。


しかし、同じ第2回で臨床心理士信田さよ子さん(原宿カウンセリング・センター)の「警告」を忘れてはマズイ。

「いまの苦しさから逃げるために前世に依存し、自分自身で納得しているだけでは、現実は何も変わらないことを理解してほしい」
処方箋としてはスピリチュアル・カウンセラーやパワーストーン(第3回のテーマ)は、対処療法に過ぎないんです。
根治するためには、病識(自分がどういう病状なのかという知識)を得て、その根本原因を取り除くしかないはずです。とすると、やはり最後には「確かなものはない」ということに耐えられる自我を獲得するしかないのかもしれない、とも思うのですが。