PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

宮崎駿インタビュー

『Business Media 誠』という産経系のオンライン・メディアに、「“ポニョ”を作りながら考えていたこと――宮崎駿監督、映画哲学を語る」という、記者会見かなにかでのインタビューをまとめた記事が前後編で掲載された。前編は「悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない」、後編は「『世界は美しいものなんだな』と感じてくれる映画を作りたい」と副題が添えられている。添えられている副題には違和感がある。眼目はそこなのか? 誰かが後編をブックマークしていたために、前編から読んでみたのだが、そのブックマークがなければ気づいても読まなかっただろう。


しかし、一読して、しゃくなことに何度もうなづいてしまった。深い洞察力のある人だと、改めて思う(共感する部分が多かったために、買いかぶってしまっているのだろうとは思う。いや、世代的な共感、前世代から受け継いでいるものが共通している部分があるために、ビビビとなってしまってるだけか。その疑いが濃厚だなあ)。それでも、なんとなく居心地の悪い、据わりの悪いものも感じる(おそらく、先入観と整合しないとか、そういうことなのだろうけれど)。そこで、とりあえず印象的な言葉をいくつか書き留めておいて、後日(たとえば読み返す際)のよすがとして、置いておくことにした。


前編から。

子どもたちが字を覚える前に覚えなければいけないことがいくつかあって、これは石器時代からやってきたことです。自分で火をおこして、燃やし続けて消すことができる、水の性質を理解している、木に登れる、縄でものをくくれる、針と糸を使える、ナイフを使える。
1つ、「地域の子どもが集まって来るような、親があんまり喜ばない駄菓子屋を作りたい」ということは考えています。
「世界の問題は多民族にある」/「あらゆる問題は自分の内面や自分の属する社会や家族の中にもある」/「自分の愛する街や愛する国が世界にとって良くないものになるという可能性をいつも持っているんだ」
この国で生産できるものは3200万人までの人口しか養えません。/食料の自給率が低いとか、自分が着ている下着が全部中国製であるとか、そういうことがこの国の不安の根幹にあるんだと私は思っています。
生産者であることと消費者であることは同時でなくてはいけないのに、私たちの社会はほとんどが消費者だけで占められてしまった。生産者も消費者の気分でいるというのが大きな問題だと思います。/それは僕のような年寄りから見ると、非常に不遜なことであるという風に、真面目に作れという風に、力を込めて作れという風に(感じ)〜怒り狂っているわけです。だから全体的なモチベーションの低下がこの社会を覆っているんだと思います。
――麻生首相がアニメ・漫画好きと公言されていますが、これをどうお考えになっていますか?

宮崎 恥ずかしいことだと思います。それはこっそりやればいいことです。

私は自分の目の前にいる子どもたちに向かって映画を作ります。子どもたちが見えなくなってしまうときもあります。それで中年に向かって映画を作ってしまったりもします。/私たちにとっていつも考えなければならないのは、日本の社会であり、日本にいる子どもたちであり、周りの子どもたちです。それをもっと徹底することによって、世界に通用するぐらいなある種の普遍性にたどり着けたら素晴らしい。

後編から。

8歳の少年は悲劇的にならざるを得ないものを強く持っているからです。知らなければいけないことが山ほどありすぎ、身に付けなければいけない力はあまりにも足りなくて……つまり女の子たちとは違うのです。少女というのは現実の世にいますから、極めて自信たっぷりに生きていますけど、男の子たちはちょっと違うのだと思います。
つまり、自分の才能の不足に苦しむのだと思います。

 1日4時間しか寝なくてもスッキリしている頭とか、机の上の細かい絵がよく見える目とか、何時間指を動かしていても鉛筆を握っていても疲れない腕とかそういうものがないのです。

労働条件の差を利用して映画を作りたいとは思いませんので、何とかして自分たちのリスクで映画を作っていきたいと思っています。

 全国から若者たちが集まってきますが、東京で1人暮らしを始めて、勤めをするのはとてもストレスが強いので、ちょっと東京を離れた別の場所に養成用スタジオを作りました。

「みんなでやってよかった」というものを探す責任を私は背負ってアニメーションスタジオにいますから、もしそれを背負わなくていいというのならアニメーションスタジオにいなくてもいいんじゃないかと思います。だからジレンマはありません。
映画というのはそれ(30年)以上の時代を超えていくのは不可能だと私は思っています。歴史的な意味はあるかもしれないですが、30年前のフィルムを楽しむ大衆はいません。ですから、自分たちの仕事の限界と、自分たちのできる範囲の両方を忘れないようにしながら仕事をしています。
日本映画の全盛時代に12歳ごろに出会いました。ですから映画館から帰る時に意気揚々と帰ってくるのではなくて、「生きるのは大変なんだ」と思いながら帰ってきたのが映画の思い出です。
「いったいどこに止まれば良かったのか」というのは、これはずいぶん探しましたが、結局「楽園というものは自分の幼年時代にしかない、幼年時代の記憶の中にだけあるんだ」ということが分かりました。親の庇護(ひご)を受け、多くの問題を知らないわずか数年の間だけれども、その時期だけが楽園になると思うようになるのではないでしょうか。

宮崎氏の作品は、およそ世間の人が知っている程度には知っているつもりだ。関連書籍も2冊ぐらいは目を通したことがあると思う。しかし、それらと上記の話が整合するかはここでは考えていない(正直言って、あれ? と思う部分がなかったわけでもない)。宮崎という文脈から切り離したときに(あるいは切り離されても)上記一群の言葉が意味をなすのかということを、きちんと考えたわけでもない。熟読吟味したものでもない。


どちらかというと、「初老の域を過ぎようとしている、日本の著名なアニメーション作家」の言葉を、「2人の子を持つなかで学校や地域に関わるようになった、初老の域に入ろうとしている雇われライターで雇われ編集者」が読んだら、この辺にううむとなった、というぐらいのことだ。


そういう宙ぶらりんな、「ぼんやりと読んだもののなかから、ぼんやりと拾われたもの」のメモでしかない。