PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

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「牛乳神話」神話4■「牛乳神話」はフードファディズムか



1で紹介したコラムは「牛乳神話」はフードファディズムだという立場でした。


まず、馴染みの薄い「フードファディズム」とはなんなのか。

フードファディズム(英語、food faddism)とは、特定の食品を食べるだけですっかり健康になる、などという宣伝をそのまま信じ、バランスを欠いた偏執的な食生活をすること。あるいは、特定の食品を口に入れて病気になったなどの情報に接し、その具体的な量に関するデータも確認しないまま、それを感情的に漠然と記憶し、その食品を全く口にせず、バランスを欠いた偏執的な食生活をすること。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』フードファディズムより
マスコミなどの宣伝を信じ、1つの食品が万病に効くと独断的に信じて、過大評価する消費者と、そのような情報を発信することの総称。また、実験的な情報が全て真実と信じ、実際の生活の中での検証を無視し、暴走した行為などもフードファディズムといえる。
マルチメディア・インターネット事典:フードファディズムより
先の完全食品とからめて考えると、狭義には「ある食品を完全食品であると信じて、その食品ばかりで組み立てられた食生活」、広義には、それに類した誤解を与えるような言説と言えるでしょうか。


先のコラムは、そもそもの発端が

一部の栄養学者が、『あるある大辞典』や『おもいっきりテレビ』を批判している。一つの食品の「効果」を大げさに紹介するのを、フードファデイズムと呼んでいる。
ということに端を発していて、それを言うなら「フードファディズムの戦後最大のものが、牛乳神話」という話になっています。上記の「マルチメディア・インターネット事典」などは栄養学者の書いたものではないようですが、類似例と言えるでしょう。こういう指摘を見ると、批判したくなる気持ちはわかります。


私はWikipediaの方を先に見ちゃったので、「牛乳がいいって言ったって、そこまでの話じゃないだろう」と思ってしまいましたが、マルチメディア・インターネット事典の方の説明を見ると、ああ、なるほどかつての牛乳神話ってそうだったのかも、という気はするのです(狭義のフードファディズムであると言うためには、「牛乳を欠かさないようにしよう」とか「足りない栄養分を補うことができる」という言説では十分ではないでしょう。「牛乳は完全栄養食品」という言説を信じて、「牛乳だけ摂っていれば十分」というような食生活が存在するか、かつて存在した必要があります。これはさすがに存在したことはないのではないでしょうか。また、牛乳は完全食品という主張にしても、さすがに「だから、牛乳だけ摂っていればだいじょうぶ」とまでは言われたことはないのではないでしょうか)。


ただ、例に挙げられている学校給食は、栄養士による栄養計算に基づいて組み立てられているものです。似たようなところでは病院の食事もありますが、そうしたところでは普通、必要な栄養素をまんべんなく補給することが重視されるのは周知のことでしょう。有名な「1日30品目」という目安がありますが、ずいぶん昔の話ならいざ知らず、給食の献立を作る栄養士がそれを知らないとお考えとも思えません。フードファディズムとは最も馴染みにくい構造のはずです(余談ながら、「1日30品目」は「牛乳神話が健在か」という問題ともからむのではないかと思っています。「1日30品目」に類したことばを知らない大人が、いま、どれぐらいいるでしょうか。「牛乳神話」が仮に業界側に悪しきプロパガンダとして残っていたとしても、消費者の側には、もうほとんど残っていないのではないかとさえ思います。もちろん、調べる術はないのですが)。


また、「あるある」をフードファディズムであるとする批判と同様な、どちらかというと杜撰な批判と同列になってしまうような危うさも感じないと言えば嘘になります。


実際、手元の給食献立表を確認すると、1食あたり20品目前後の食材が必ず使用されています。1日の必要な品目数の半分以上をここで摂れるように配慮されているわけです。3月までは次女が小学生だったのですが、小学校でも同じようなものでした(いずれも東京・三鷹市立。自校式のもの。他地域まではわかりませんが、大差ないのではないかと思います)。