PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

不審者とUFO


第12回 防犯PTAはこのままでいいの?(『みんなのPTAを探して』 ブログ版 2007年12月20日)を読んだ。

――バランスの問題でしょうか。ぼくが知っているPTAのお母さんで、熱心に防犯活動をしている人がいて、芹沢さんの本[亀註:『犯罪不安社会――誰もが「不審者」?』光文社新書)]を読んでもらったんです。感想を聞いたら、「この本、信じられない、受け入れられない」って。


芹沢 その「受け入れられない」とは、どういう意味なんですか?


――頭のいい人だから、理屈としてはわかるわけです。警察の方針次第で認知件数が増減するカラクリもしっかり理解する。でも、「かりに治安は悪くなっていないとしても、私と子どもが住む町には不審者なんて一人もいてほしくない」って。


芹沢 「一人もいてほしくない」という心性って、ちょっと前まではなかったと思うんです。どこから出てきたのでしょうか? 実際に犯罪も増えていないなかで、なぜそこまで強い思いが、国民一人ひとりに内在化してしまったのか。
(中略)
芹沢 少し前に、奈良の大学教授が子どもに声掛けをして捕まり、起訴までされました。お母さんと子どもが離れていたそうです。それで、「昨今、こういうのは危ないから、お母さん、目を離しちゃダメよ」みたいなことを言ったところ、それがなぜか向こうには「誘拐するぞ」に聞こえたらしく……。


――身につまされます。ぼくも、知らない子どもによく声掛けをするので。流れてきた不審者情報で、これは自分のことだと思ったことありますし。

この辺を読んで、最近の自民党のUFO祭りを思い出した。


酔っぱらったアタマでぼんやり考えるに、地域における「不審者」というのは、誰だかよくわからないからこそ怪しい、のではなかろうか。


不安なので、ちょっと辞書を引いてみる。

ふしん 0 【不審】


(名・形動)スル [文]ナリ
(1)はっきりしない点があって、疑わしく思うこと。いぶかしく思うこと。また、そのさま。
「―の念をいだく」「挙動の―な男」「―に思う」「那様(そんな)に財(かね)を拵へて奈何(どう)するかとお前は―するじやね/金色夜叉(紅葉)」「其所に何か意味があるのではないかと、一寸―を打つて見たが/明暗(漱石)」
(2)嫌疑を受けること。不興。
「このたびは御―の身にて召し下され候ひしかば/義経記 6」
[派生] ――が・る(動ラ五[四])――げ(形動)――さ(名)

だいたい、合ってるみたい。


だとすると、誰だかわかった途端に「不審者」ではなくなる。誰だかわかるが怪しい人というのは、この場合ちょっと文脈が変わって、単に異端者とかそういう者の話になって、それは後段で障害者との関わりの話として出てくる。


そうなんだけど、地域やPTAが恐れている「不審者」というのは、実は誰だかわからないことは比較的どうでもよくて、「子どもに害を与える可能性の高そうな人」に力点がある。あるいは「犯罪を犯しそうな人」と言い換えてもいい。
これって、実は不審者をどうこうしたいんじゃなくて、虞犯者のことを言ってるんだよね。


ひるがえってUFOというのは、「なんだかわからないが飛んでいるもの」だからUFO(未確認飛行物体)なんだが、自民党のUFO祭りを見ていると、ちまたではどうも「宇宙からの、地球人以外の知的生命体による飛来物」という意味づけがなされちゃってるみたいだ。確か「未来からの云々」とか「超古代の超文明の」とか「ナチスの秘密兵器」とかいう説もあったような気がするのだが、そこはもう世間的にはどうでもいいのかもしれない。


もともとは、どっちも「なんだかわからない」というものだったはずなんだが、いつの間にか「なんだかわかっていること」になっていて、いるだのいないだの、そういう話を同じ名前を使ってしている。
で、一方は「絶対いてほしくない」のだが、もう一方は「絶対いてほしい」。見つけるといてほしくなくて、見つからないといてほしいのだ、と言ってしまうと乱暴か。


で、前者は「本当に危ない人との遭遇」は年々減っている。後者は、統計については知らないけど、まともに「これは本当になんだかわからんのだが、『地球外からのアクセス』の可能性がある、重要そうな痕跡だ」つうものが、まともに取りざたされたことはない(あったら、こつこつと地道にSETIなんかやってるかよ)。
これはもう、いるのかいないのかの話じゃないよね。不安と願望の話だ。しかも、どちらも確率的には存在の可能性がゼロにはなりようがないので(だって、なんだかわからないもの、なんだから)、不安の種も願望の種も尽きない。


というわけで、「不審者も、宇宙からの訪問者も、いないことには決してならないし、どこかに確実にいるとも言えない」のだが、そういう中途半端には耐えられない、認識をゆがめてしまう、という話なのだろうな。うちには女の子が2人いて、カアチャンはやっぱりのべつ不安に襲われています。不審者情報は口コミでも、自治体からのメールでも、学校からのお知らせでも受け取っているし(そうでなくてもウチのバカムスメはなんかしでかしそうだし)、それやこれやの「体感不安」の前で、統計は無力です。
そういう「不審者情報」みたいなものがどっかに秘匿されないで、ワレワレ市民が得られる事自体はとてもよいことだと思うのだけど、統計を「受け入れられない」なんて話を見てしまうと、「知恵の実を食べてしまったがゆえの原罪」とか、思い出しちゃいますね。