PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

ICU「科学史フォーラム:ニセ科学問題」


5/16、この記事で紹介した、ICU国際基督教大学)で行なわれた菊池誠氏による「科学史フォーラム:ニセ科学問題」にカアチャンと一緒に行ってきました(kikulogの元記事)。


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1時間半という限られた時間の中に、「某所では7時間(だか7時間半だか)かけてしゃべった」という内容を、超高速トークで詰め込む荒技。もちろん、かなり端折っている部分もあるはずですが、それでも使用されたプレゼン画面は40ページ以上にわたりました(使われなかったページは多分10ページぐらい?)。kikulogで展開されている主要な話題はだいたい何らかの形で盛り込まれていたのではないかと思われます(トークには出てこないけどプレゼン画面にちょっとある、といったものも含めれば、ですけど)。
聴衆は、多分、30人弱。科学史を学んでいる専門課程の学生さんが中心なのでしょうけれども、明らかに教員と見える方々も3分の1ほどはおいでだったと思います。kikulog読者の方も2、3人はいたもよう(あっ、そうだ。声をかけてくださった男性の方、ボケっとしていて、ちゃんとご挨拶できずにすいませんでした。お名前も聞き逃してしまった……汗)。
主催者の方が録音されていたようなので、そのうちにどこかで読めるようになるのかもしれませんね。


事前にあった「多分、科学史の話はしない」とのお話のとおり、歴史の中にニセ科学を位置づけるような話はありませんでしたが、ニセ科学の概要説明やケースワークで歴史的な経緯を振り返る部分もあったため、終わってみればニセ科学の現代史とも言えそうな内容でもありました。


話の順としては、最初に「ニセ科学の概要」。ここで、およその定義(十分に緻密な定義はない、ということも含めて)と、近年の状況、代表的な例などが語られました。
実は、この部分だけでも初めてこの種の話を聞く人にはもりだくさんだったのではないでしょうか。
代表例としては、場所柄も考慮してかID説、ルイセンコ事件と来て、「国内での最近の話題」という順番。ここで、ニセ科学が実に多様であり、ひとくくりにできないほどだということも指摘。似ているけれどもここでは問題にしないものについても解説。
状況をおよそたどったところで「(個人的)問題提起」を皮切りに、ニセ科学の何が問題なのかをひとくさり。ここで「社会全体の非合理化」についてもさらっと。


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個人的に興味深かったのは、「最近の活動」をちょこっと語ったところで「反響からわかること」とに触れたこと。これは聴衆が次には語る人になるステップを考えると、さりげなかったけど重要なポイントだったと思います。


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この調子で紹介して行くといつまで経っても終わらないので、後は端折っちゃいますが、放送や広い対象に向けての1時間程度のトークでは、時間の関係などで触れることができなかった問題や、ここ1、2年で得られたり深まったりした知見などを随所に折り込んだ「バージョン・アップ・トーク」のダイジェスト版であったわけです。


ぼくが今回のトークで大きなポイントだと思った点は、「ニセ科学否定論者の陥りやすい陥穽があって」とか「ニセ科学鑑定してほしいみたいな需要が出てきちゃうんだけど、それじゃ解決にならない」みたいな、自陣の限界というかニセ科学批判の危うさみたいなところまで踏み込んでいたところ。ここをすっ飛ばさなかったのは、今回のオーディエンスの性格を意識したためなのでしょうね。って、これが気になったのは、ぼくが気にしてるせいだけかもしれないけど。


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質疑応答では、「そうは言っても、製品説明なんかでまことしやかに数値なんかが書かれていると、やっぱりもっともらしく見える。どうやって見抜いたらいいんだろう」という話が「やっぱり、そうだよなあ」と印象に残りました。
ちなみに、この質問に対しては「ひとつずつの問題についてあらかじめ知識を持っておくことは不可能なので、そこは困ったところ」と言いつつ、会場とのコンビネーションで「『体から毒素が出る』とか『水道水に危険物質が』とか言われたら、本当ならどんだけ体が汚染されてるんだ、どうしてそれで大量の死人や病人が出ないんだ、といった『大枠』から考えてみるといいんじゃないか」とか、「自分にはよくわからないものには飛びつかない、それでも別に大きな損はしない、と考えれば、少なくとも引っかかる可能性はかなり下がる」といったアドバイスが。


終了後、ふつうの人の代表として家でカアチャンとちょっと話をしてみました。
やっぱり、上記の質問と同じようなところでもどかしい思いになるということが判明。一言で言えば「それではカタルシスがない」。そんなもんを求めるのは無茶な要望だとはわかっていても、やっぱり「ズバリ言って欲しい」という気持ちがどうしても残る、ということですね。
根本的に、現代や将来に対する、なにかとんでもない不安のようなものが抜き難くあって、オレが「なんかトンデモなものが回避を『約束』してくれる(ふりをする)危険の大半は、乱暴に言っちゃえば100万人に1人だとか50年に1回みたいな低い確率でしか自分に降りかからないものばっかり」だとか言っても、「そんなもんを採用せんでも、それで損をする確率なんか、さらに小さい」と言っても、「そうかもしれないんだけど……でも……」となっちゃう。「得するチャンスを逃すかも」とはまったく考えているつもりはなくって、どっちかというと、とんでもなくひどい目に遭うことを避ける方法があるのに、それに備えないでいる……という感じが怖いようです。貯金の金利がアウトなら証券だ、え、リスクがあるの? じゃあ、どうしたら……みたいなもんでしょうか。


社会不安が蔓延しているときにオカルトが流行する、みたいな話と同根なのかもしれません。だとすると、彼らの不安材料を取り除かないかぎり、堂々巡りが続くことになりそう……。