PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

大学とかのWebサイトを考える1


御茶大乱訴事件についてのコメント」の、コメント欄の続きです。
タイトルはあとで変えるかも。


ここからのいくつかのエントリは、それぞれにかなり詳細に考えて行く必要のある事柄だとは思いますが、ここでの目的は答えを見つけることではありません。ニュース畑での設問に触れて気づかされた、ひょっとすると本当の論点かもしれない視点や考え方を整理すること、改めて大串さんや読者の方々に考えていただく機会を提供することです。その点、食い足りないかもしれません。ご容赦を。


ここでは、まず「学校等が掲示板を管理運営するって、どういうことなのか」についてちょっと考えてみます。


実は、ニュース畑のような編集者がいるシステムは、ちょっと懐かしいと思う部分がありまして、記憶をまさぐってみたのです。
すると、先のエントリのきっかけとなったそもそもの設問「大学に不特定多数が書き込める掲示板を置くことの是非」みたいな話は、設問としてあまり意味がないのではないかという考えにたどりつきました。最初に感じた違和感の原因のなかには、この点もあったのかもしれません。


以下、具体的に思い起こした事柄から順を追ってみます。


さて、私はかつてNIFTY-Serve@nifty)を利用していました。あまり熱心なユーザーではありませんでしたが、サービス開始の1年ほど後に加入して、つい昨年ほどまでユーザーでしたので、およその概略は理解しているつもりです。
NIFTYにはフォーラムと呼ばれる話題ごとの仮想的な部屋があり、そこにはユーザーが相互に投稿できる電子会議室(掲示板のようなもの)がありました。フォーラムごとにユーザーから自薦他薦で選ばれたSYSOPやサブシスがいました。投稿はそのまま公開されてしまうのですが、管理権限を持ったユーザーが投稿や議論をある程度コントロールすることができた、というわけです。


また、出入りしている学校で最近導入したシステムにNetCommonsがあります。これはCMSってやつでして、Xoopsをベースとしています。
このシステムでもXoopsでも、やはり仮想的な部屋を設置したり掲示板を設置することができます。そして、その部屋や掲示板ごとに、ある程度の管理権限があるモデレータを指定することができます。モデレータは投稿を承認式にしたり、編集・削除したりする権限があります。


こうしたSYSOPやモデレータがいるシステムというのは、かつては珍しくありませんでした。今でも多くのクローズドネットワークでは主流だろうと思います。どのような目的や運用方針をもって設置されたものでも、不特定のユーザーが入ってくるわけではなくても、ある程度のユーザー数になると「不適切な行動」が一定程度はあり得るからです(ここでいう「不適切な行動」は、別に「荒らし行為」「炎上」「叩き」といったものに限定せず、うっかり自分の個人情報を書き込んでしまうといったレベルのものも含めて考えています)。


学校を想定してみるとわかりやすいかと思います。
最もコアな顔ぶれは情報担当の教職員といったところです。ここから、校長や副校長などの管理職、一般の教員、職員、児童生徒学生、PTA等の役員や保護者のうちのボランティア、一般の保護者、地域住民、他地域の市民などなど、どのレイヤーまで広げるとどうなるかを考えると、実は「不特定多数」などと言わず、ほんのちょっと範囲を広げるだけで「不適切な行動」に遭遇する率は、がくんがくんと飛躍的に高まって行きそうですよね?
私の経験では、保護者が学校のシステムの欠陥を指摘するためとして「実力行使」に出たケースもありました(詳細は書けませんが、実害こそ与えませんでしたが、単なる指摘に留まらない示威行為でした)。また、使い方がよくわからないためとか、利用ルールをちゃんと把握していないために大小さまざまな行き違いが起きるのは日常茶飯事です。


そしてまた、そうした事態は「起きてはならない問題」ではなく、必要に応じてメンテナンスをしなければならず、またそのコストを見積もる必要があるといったことに過ぎないと考えています。無知や非常識に由来する大小のトラブルもあり得るし、細部で合意が達成できない参加者がいる可能性も想定されていなければならない、というだけかな。


たとえば、ニュース畑では「編集部」があり、そこがSYSOPやモデレータの役割を担っています。コメント欄でご紹介いただいた記事〈gooニュース畑、「荒れないニュース掲示板」という実験〉(オーマイニュース 2007-12-11)へのコメントでは、次のような事柄が指摘されています。
・編集部がモデレートするとして、利用者数に応じた管理体制が維持できるか
・妥当な管理方針が共有できるか
・そのコストをどうまかなうのか


設問に即して読み替えれば、「大学など公的機関でのWebサイト運用ルール」の一環として、個々のコンテンツについて「誰が管理を担当するか」「どのようなルールで運用するか」「職員はどのような発言を公開することが容認されないか」といった具体論を考えることです。


一例として、最初の「誰が管理を担当するか」をざっくりと考えてみましょう。


これまでの私のせまい経験の範囲では、実際の運用面で常に問題となるのは、SYSOPやモデレータの選定や人数、コスト(仕事量とか活動可能な時間帯とか)といった部分でした。これは今も昔も「これだ!」という解決策がなかなかない。
仮に専従の職員を立てたり、広報課など(公立の小中学校にはどっちもいないですけど、私立校や大学にはおいでかも)が対応するとしても、投稿数が少なくなければ対応しきれなくなることがありそうです。ある程度専門的な内容になってくると、そういう職員では対応ができないことも増えてくるでしょう。
Wikipediaみたいなボランティアのモデレータがたくさんいるという運用方法でも、モデレータ同士の衝突があるようですから、複数の担当者を置いて管理させるにしても、問題がまったく起きなくなるということはなさそうです。


一部の匿名掲示板では、削除人などと呼ばれる常駐ユーザーを立てたうえで、「スレ立て人が投稿の削除まで含めて管理する」という方法をとっています。スレ立て人(スレッドを立てた人、元トピックの投稿者)のなかに、不適切な投稿を放置したり、恣意的に気に入らない投稿を削除する人が出てきてしまうことまでは防げませんが、それなりの穏やかさを獲得できているようです。
これを学校に置き換えると、管理担当者と「その掲示板を起きたいと考えた発案者」が共同で管理するといった感じになるでしょうか(原理的には発案者=教職員とは限りませんが、そこはローカルな運用ルール次第ですね)。


ここまでで気づいた疑問は、次のようにまとめられそうです。


(疑問1)「不特定多数」であるか否かは、多少リスクの大きさを変えるにしても、実は決定的な違いにはなり得ないのではないか。
(疑問2)「掲示板を置くことの是非」と読めるタイトル自体が、訴状に引きずられてミスリードを起こしていないか、大学のWebサイトでの双方向性のコントロールや、そこでの個人ページなどのあり方、つまりは管理運営方針こそが論点なのではないか。


(疑問2)の辺りは、引き続きのエントリで、「学校のドメイン下で、教職員が独立したコンテンツを公開すること」として考えてみます。
あと、そもそも吉岡氏が自分のWebサイト上で主張していること(今回の訴訟での主張そのものではないことに注意)を再度整理して、彼の論点について考えてみたりしようかなあとも考えています。


でも今年は=今日はもう酔っぱらいになったので、ここまで。
では、みなさまよいお年を。また来年!(^◇^;)


#2008/01/01 00:58
#少し酔いが醒めたので読み返したら、ミスタイプがぽろぽろあったので修正しました。
#酔っぱらいってダメねえ。
#ちなみに、ほんの一部の字句なので修正履歴は残しません。