PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

「牛乳神話」神話7■「批判」につきまとう危うさ



牛乳のはなしにしても、ニセ科学批判にしても、ほかのものの批判についても、ほんとにちょっとした説明不足や勇み足で「それはおかしい」と批判に対する批判を呼んでしまう、ということに、最近かなりめげています。


いや、批判に限らないかもしれません。わたしは編集屋なので仕事柄いろいろな方の原稿を拝見しますが、「こういう風潮がある」などという文にも過敏になります。「私の周りでは」といった留保や、「どこそこにこういう例があった」というような具体例がないと、余計な突っ込みをもらって、無駄な水掛け論が発生する、不毛でアブナイと考えているからです。
しあkし、人の原稿に指摘はできても、自分で文章を書くと、同じことをついついやってしまいます。ブログなどネット上の言説では、発表前にこういう第三者による意見をもらえることは少ないですよね。商用サイトのたぐいでも、編集者に類する役割の人はいないので、うわっと思うテキストが公開されていることがよくあります。


逆に、編集者がいると、それこそセンセーショナリズムに毒された皮相な要約のしかたで見出しをつけてしまうこともあったりするので、編集者がいるから安心というものでもないのですが。


ネット上では、コンテンツの分散ということも気にかかっています(この記事もそうですが)。書き手はほかのコンテンツも頭の中にあるのですが、読み手は今見つけたコンテンツだけを読んで批判するということも、よくあるように思います。その結果、批判の応酬が生じると、同じ論点があちことに何度も書かれることにもなります。
「いちいちサイト内の記事を全部なんか読んでいられない」という意見もわかるのですが、わたしはできるだけ他の記事にも目を通すようにしています。ブログの場合は、なんとか書き手のプロフィールをつかもうとします(よくやるのが、最初の記事を探すことです。それでも、どんな人なのかまったくわからないこともよくありますが)。
でもまあ、これは雑誌のコラムなどの短い文章などでも同じですね。関連するまとまった文章があれば、参照指示などもつけたいところですが、なかなかそうもいかないのももどかしいところですね。


kikulogの別のコメントでは、コラムの書き手である幕内氏は伝統食回帰論者であるかのような言及もあるのですが、フーズアンドヘルス研究所のサイトをざっと見た限りでは、その点はよくわかりませんでした。著書一覧を見ると、うーん、こりゃちょっと乱暴な人だなあとは思う書名がいくつもありますが、中身を見ていないので、編集者が悪いだけなのかもしれません。