PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

なんかズレてないか?


なんか、すごく間抜けな報告でも読んでしまったような気にさせられてしまう。
こういう実験をしている人たちは、例えば「真剣に創作に取り組む時」と「テキトーに創作『モドキ』のまねごとをする時」の違いとか、そういうことには思いを馳せないのかなあ。あるいは、実験者は気にしているのに記事を書く人間がその辺に鈍感なのか。


俳句、「脳トレ」より活性化度大 川島教授と実証 松山(asahi.com 2007年06月10日)
http://www.asahi.com/culture/update/0609/OSK200706090036.html
(前略)実験では、プロの俳人や句作の初心者ら15〜55歳の男女12人に対し、俳句をつくる▽簡単な加減乗除の四則計算をする▽俳句を黙読する▽俳句の上五を見せた後、正しい中下の句を選ぶマッチングゲーム▽提示された句が「そこそこ」の水準か「まだまだ」の句なのか判断する判別ゲーム▽散文を読む▽無意味な文字列を読む、の7項目の課題に取り組んでもらった。(中略)自分で俳句をひねる時の効果がずば抜けていた。


これだけの事実から、下記のようなことを言っているわけではないと思いたいですけどね。

川島教授は「句作が、計算よりも強く前頭前野を活性化させるのは、数字より複雑な言語を扱って頭を使うからではないか」としている。
 沖田さんは「子規が晩年、病気になっても、頭がはっきりしていたのもうなずける。認知症の予防や改善に、句作を試してみてはどうか」と話している。
簡単な計算をやってみるとかいうことが「脳のトレーニング」として広く受け入れられたのは、そこに自分のやる気や意気込みなんていうことが、あまり関係しなくて済みそうな印象を与えるからってことは、いかにもありそうに思うのです。
「句作に関心のない人」が「手キトーに俳句モドキをひねった場合」は、四則演算よりも効果が低い、なんてことはいかにもありそうにも思います。


もちろん、実際にそうなのかどうかはわかりませんよ。意志とかそういうものが「前頭葉の血流」とやらに影響を与えるかどうかもわかりません(計測しにくい条件でもあるでしょうしねえ)。
でも、「被験者=俳句を詠んだ人=プロの俳人や句作の初心者」という書きっぷりからは「句作に関心のない人でも効果があるかどうかを意識して分析している」というようには見えない。もしもこの感触が間違っていなかったら、前述のような結論はあまりにも早計ではないか、って気がしてしまう。


なんだか、ボクはとっても違和感を感じる記事です。


参考:
俳句と脳の研究会
http://www.yui-system.jp/haikutonou.html


なんとか俳句を商売とか町興しにつなげられないかという意図がありありとしています。それで判断とかいろいろとヌルくなってんじゃないか、なんて気も……。