PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

実用としての「ニセ科学の見分け方」3


ニセ科学批判」批判と呼ばれる主張がある。


  • ニセ科学問題を扱う者は、非科学や未科学ニセ科学を分類している。ニセ科学とは「科学ではない(のに科学を装う)」というのだから、これは非科学か未科学である。ニセ科学という概念が成立しない。
  • ××を科学的主張と勘違いする人はいないだろうからニセ科学に分類するのは適切ではない。したがって「××はニセ科学」だという批判はおかしい。すべきではない。
  • ニセ科学か否かという判定は、実証的な手法によっていない。したがって主観的な批判にすぎない。
といった主張が代表格だろうか。


こうした「ニセ科学批判」批判が、それなりにもっともらしさを持っているように見えるのだとすると、それは“より緻密な定義や、前提の誤った適用の可能性などを論じる論考がアカデミズムとしての〈「ニセ科学」学〉みたいなものに見えるから”ではないだろうか。
おそらくは、そんな〈「ニセ科学」学〉を志向している人は、どこにもいないのだが。


さて、ではこうした主張の前で、先の「見分け方」は役に立つだろうか。


確かに、自分の考えを構築するにしても、それを述べるにしても、慎重な態度が求められる。そうした姿勢ゆえに「なにがニセ科学か」という問題に関心を払う必要はある。
また「ニセ科学だと言って批判する対象としては、××は不適切だ」という部分だけ取り出して考えると、定義の問題として重要なポイントと映ることもあるだろう。
そうでなくても学問的に体裁(というと語弊があるが)が整うということは、論としての緻密さを増すことでもあるので、まったく無意味なわけではない。


しかし、前述のような「見分け方」の前では、たとえば「『科学用語のように見えるかもしれないが、実際には科学用語ではないような語彙』を用いたのであれば、それは非科学であってニセ科学ではない」などという異論は詭弁でしかない。「科学と紛らわしいか否かについては、それは誰にとってなのかなど、議論の余地がある」などということもあり得ない。ここで解釈の余地がある部分があるとすれば、それは徹頭徹尾「主張Aは科学的な裏付けのある知見と言えるかどうか」だけだ。
そこに主観の入り込む余地は、かなり少ない。「科学的知見と言えるかどうか」の大きな部分は素朴な手続き論だと言える。そして、その点については、多少なりとも科学に関心を持つ人間には共通の判断基準となっている。しかも、それは(社会全体では十分ではないかもしれないが)それなりに広く浸透している。よほど専門的あるいは先鋭的な問題を含まない限り、検討する人間には事欠かないだろう。



このように考えてくると、少なくとも、いまのところ〈「ニセ科学」学〉を成立させる実用的な価値はなさそうだ。また、冒頭で述べたような「ニセ科学批判」批判の主張は
トリビアリズム(瑣末主義)
・論理ゲームとしての完成度に関する評論
論点のすり替え
といったものにしか見えない、と言ったら言い過ぎだろうか。


ここまで書いてきて、こうした批判は優先順位問題の一種(鏡像?)なのかもしれないとも思う。
たとえば「血液型性格判断ニセ科学ではないので、ニセ科学として批判するのは不当だ」という話は、「血液型性格判断ニセ科学だというなら、温泉の効能書きもニセ科学のはずだ。なぜ温泉の効能書きを批判しない」という話とうまいこと対をなしているように思える。


とか書いていたら、「ニセ科学を批判する者は科学を絶対視している」というおなじみの批判がまたぞろ目に入った。論理と科学を同一視したりするからこんなことを言われるのかしら? 論ずる必要もないとは思うが、こうなると、わら人形論法である可能性も出てくるか。



おそらく、必要な自己批判的視点のひとつには「この批判によって流れ弾に当たる人が出てこないか」といったものがあるだろう。これについては「その流れ弾に当たる人は、同様に紛らわしい言説を無責任に流している人なのか、それとも純粋にとばっちりを受ける被害者なのか」といった検討は、常に必要だろう(ただし、「買うななどと言っていなくても『ニセ科学だ』と言われることで売れなくなる、風評被害が生じる」という指摘に対しては、「そもそもまともな説明をできない製品やサービスを売る方が無責任だ」としか言えない。ちょうどapj氏が先ほど「不実証広告規制」というエントリで、その点について詳述している。参照されたい)。


#apjさんの「不実証広告規制」は、、この一連のエントリを書いている間にアップされた。
#これを読むと、なんかもう、ウチのエントリは周回遅れで遅きに失している感がバリバリ。
#しかし、まあ自分の頭の整理だということと、もったいない精神でアップしちゃう。
#とほほのほ。


ま、なにはさておき、それはここがおかしいよ、などというツッコミがございましたら是非是非。って、こんなに長いのを誰も全部は読まないか(-_-)