草の根の「水伝」
水には耳はありません(憂鬱亭日常 February 16, 2008)
地域の「子ども育成会」の事業「もちつき大会」の後で、「文部省が作った紙芝居」とともに水伝が出て来た、というお話。
実際問題、目の前に出て来たときに「えー?」と思っても、なかなかその場では指摘できないものだ。でも、この方はそれをやった。それだけでもえらいと思う。しかし。
会の後で
「先ほどは済みませんでした。」
とこちらからフォローしに行ったら、
「私は子どもの情操教育としてね、
ああいうことを教えたかったので」
と言われてしまった。
いつものことだが、立ちふさがるのは「善意」である。
新しい小中学校の学習指導要領の内容が
昨日公表された。
道徳教育の改善が強化ポイントの1つに
挙げられているんだけど。
この「水からの伝言」の授業は、
今回の改訂の趣旨から見ると
プラスマイナスどちらの評価を受けるのだろうか?
どっかの特定宗派だの「神の手」なんかよりも、よっぽどたちが悪いのがこの辺だろう。
少なくとも、「水からの伝言」は宗教の衣をまとっていないし、あからさまな神だの超越者みたいなものも出てこない。
EM菌なんかもそうだけど、水伝も環境教育っぽく見せる側面がある。
文教系の国会議員が国会で採り上げたこともあった。
世界中に水伝絵本を届ける計画のなかには、もちろん日本だって入っている。
教師や地域の指導者が「これを教育現場に入れてもいいか?」と立ち止まる理由が少なく、入れたくなる理由はいくつもあるのだ。
笑い話ではない。
たとえば科学っぽいから信じるのかどうか、なんていう考察は「根から絶つためには有用」だ。だけど、いまそこで草の根化していく水伝については、また別のアプローチをするしかない。
ぼくらにできそうなことと言えば、モグラたたき(見つけたら、そりゃおかしいという話をすること)と予防(あらかじめ「こういうおかしい話がある」という話題を機会あるごとにして、なんとなく広めること)ぐらいしかない。