PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

「子供には人権がない」のか?

mixi日記から転載。


これを読んで、すっごくいろんなことを考えちゃいました。


http://togetter.com/li/48318

追記:考えすぎて、さっき拡張版を作っちゃった。
http://togetter.com/li/48546


結論だけ言うと、江川某は最近の発達心理学や労働社会学(だったかな・汗)の知見を知らないか、援用することができないでいるために、自分を育てた世代の考え方の影響を強く受けていることに気づいていないのではなかろうか。いや、ぼくだって怪しいけど。なんちゅうか、自分が特定の偏りをもっていることは、それが社会観の根本を支えていればいるほどなかなか自覚できないですわな。そういうことなのかな、と思ったり。


というのは「子供にも人権がある」「子供は小さい(不完全な)大人ではなく、独特の『子ども』という存在である(子供の発見 http://tuushin.jp/word/ka-gyou/post_36.html )」といった話は、比較的新しく広まった知見なんですね。たとえば、子供の権利条約の調印は1989年のこと。子供の発見はルソーだとかいうから、ちょっと古いんですけど。


いや、未成年者が人権の一部を制限されていることは事実なんです(参政権とか法律行為ができないとか納税義務がない等)。そのせいもあるのか「子供は小さな大人」という考え方は根強いのですが、その考え方だと、子供は親の私有財産(だから大人の都合で指導される)だの、未熟だから安価な労働力として搾取対象にされても仕方ないだのというような考え方を肯定してしまいかねないんですよねえ。もしもその人の社会的貢献の度合いと権利をリンクさせると、ほとんどの弱者は「世間のお荷物」として遠慮のかたまりになっていなければなりません。しかし、そこにはなかなか気づきにくい。


現代では子供が社会的弱者だということに異論がある人は少ないと思います。ほかの社会的弱者(障害者や病人、貧者、被差別民、女性もですね)との類似点を考えるとどう扱われるべきかが見えてくるところがあると思うのですが、「小さい大人、未熟な大人」と規定した途端に見えなくなる部分がある。たとえば自己決定権は強者=支配層(子供の場合は親)が認めるから、強者が認めた範囲であるのではなく、自然権(自然にそなわっている権利)として同等にあるはず。そうでないと、強者が恣意的に取り消せることになってしまう。


また、こういう文脈でシツケが云々とか、原則と例外といった話を持ち出すのは、自説の正当化のための詭弁です。原則を言うならば「弱者は保護されるべき」だけでいいはずですし、シツケ(大人による善導)はかなり恣意的な概念なので「大人好みの子どもを作ること」と区別できませんし、虐待とも線引きできません。そうではなくて、今シツケと呼ばれているのは、本当は「年齢に応じて社会適応力を養うこと(市民として成熟することを支援すること)」である方がいいのだと考えるならば、権威(強者)に対して反論することは口答えではないし、試行錯誤は避けるべき失敗ではありませんから、どちらも推奨されるべき姿勢でシツケの対象ではないことになります。矛盾ですよね(言語的発達があるレベルに達すれば、ふつうに真っ正面から相手をすればいい=議論すればいいだけなんです。逆に言うと、保護責任を負わされているからといって、強制したりだましたり捨てたりしていいわけではない。って、ちょっと脇筋に入り過ぎですね)。


ああ、なんかとりとめもなくなっちゃった。


ぼくは江川某の年齢や日ごろの発言を知りませんが、ああいうのは、ぼく辺りの世代から上では珍しくない考え方です。気づかずに身につけてしまっていることは、なかなか上書きできないんですよねえ……。