【種?】投影性同一視
先日、「患者への対応」でググっていて発見。
境界例の治療技法 6 患者への理解と対応:投影性同一視による操作
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/gihou/projectiv_id.html
境界性人格障害ってやつの話だと思うのですが、自分を他者に投影してしまって、その投影された自分自身を批判したり嫌悪するということがあるのだそうです。外見上は、患者が誰かを批判しても、それは誰が見ても批判者自身の欠点であって「それをお前が言うな」なんて思われるような事態になったりするわけです。
一般化してしまってはいかんのでしょうけれども、「お前が言うな」状況は、しばしば見かけますよね。そんなせいもあって気になるフレーズがたくさん出てきます。
(略)一般の人との対応にまでこうした話が適用できるとは考えない方がもちろんよいだろうとは思う。また対応策が、煎じ詰めれば「スルーする」のと「患者に共感的に接する」しかないので、現実の例には適用しにくいかもしれない。だから、この記事はそういう意味では役に立たないかもしれない。
これはたとえば弱者の救済という形で表現されることもあります。(略)表面的には弱者を救済しようとしているように見えるのですが、本当に救おうとしているのは他でもない自分自身なのです。
(略)
たとえば、スタッフに向かって「お前は、自分勝手で自己中心的だ」という非難を浴びせたとします。患者の人柄をよく知っている人からみれば、「自分勝手で自己中心的なのは、他でもない自分自身のことではないか」ということになるのですが、患者自身はそういう自分のいやな部分を見ようとはせずに、そのいやな部分を他人に押しつけるのです。そして、いやな部分を押しつけた他人に向かって「お前は、自分勝手だ」と言って非難するのです。
(略)
このような他人を利用した自己嫌悪は、患者が他人に憎しみを向けるというパターンだけではなくて、逆に他人に患者を憎むように仕向けるという形を取ることもあります。(略)鏡の役を割り振った他人から、自分を憎んでもらうことで、他人を利用した自己嫌悪という形を作り出すのです。
(略)
では、なぜこのような防衛機制が発生するのかと言いますと、患者には自分というものがないからなのです。自分というものがないので、葛藤を自分だけで抱えることができないのです。(略)周囲の人たちは、患者から色々な役割を押しつけられて、気づかないうちに患者の葛藤の代役を演じさせられることになるのです。(略)本人としては「善人」のままでいることができるのです。つまり、自分はあくまでも善人であり、悪いのはすべて悪役を割り振った他人のせいなんだということになるのです。
(略)
厄介なのは、患者の悪い面が映し出されたときなのです。スタッフが患者から激しい非難を浴びたりしたときには、ついカッとなって、言い返してやりたくなったりします。(略)しかし、このような反論は、火に油を注ぐことになります。「自分勝手なのは、お前の方だ」と言われたとき、患者がこの言葉をどのように解釈するかというと、「この人は、こうやって全部私のせいにして責任逃れをしようとしている。ますますもって許し難い自分勝手なやつだ」ということになるのです。そして、さらなる激しい非難を浴びせて来るのです。そして、お互いに「悪いのはお前の方だ」という非難の応酬となり、醜い口論が展開することになるのです。(略)しかし、このように患者が感情を剥き出しにしてくる場合は、それでもまだ分かりやすいのですが、患者が感情を抑えているような場合には、投影性同一視による操作になかなか気づかなかったりします。たとえば患者がスタッフに悪役を割り振って、いつもスタッフに接するときに、無言のままに悪人に接するような接し方をして来ますと、スタッフの方もいつの間にか患者に対して不親切になっていって、そのうちに自分から進んで悪人のような行動を取ったりするようになるのです。(略)
でも、自分自身を含めて、「この境界例の患者のように振る舞っていないか」ということはときどき気にした方がいいかもしれない。