PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

母親による子殺し


ありがちな構図と言ってしまうとさすがに語弊があるが、まるで理解不能な事態というわけでもない。


1歳半の二男を畳に投げ落とす、母親を傷害致死容疑で逮捕(2007年7月16日19時28分 読売新聞)


もちろん、正当化できるような事柄ではない。しかし、こうした母親による実子の殺人の多くは虐待行為の延長にあり、しかも、そこに至る前に適切なケアがされれば防ぎうる、ある種の病理と考える方がよいケースが多そうだとボクは考えている。


TAKESANさんが「理解が出来ない行為」(Interdisciplinary 2007年7月17日)で、「理解不能」と採り上げているのでちょっと自分の認識を整理してみる気になった。


小さな子どもを畳に投げ落とすとか、認識不能の行為です。想像自体出来ない。かっとなってとか、そんな問題では無いです。どんな心理状態であっても、それは絶対に出来ないという、そういう行為ですから。
理解が出来ない行為」(Interdisciplinary 2007年7月17日)
TAKESANさんがそうおっしゃる気持ちもわかるような気もするのですけどね。


「泣き止まなくて」とかいうと、育児で苦しんだ経験のあるお母さんであれば、他人事ではないとさえ思う場合も少なくないだろうと思いますよ。TAKESANさんも別に異常者による犯行とおっしゃっているわけでありませんが、構図としては理解しやすいものだとは思います。


以下、どなたさまもご存知の話が多いとは思いますが。


赤ちゃんのなかには毎日のように何時間も泣き続けるという子もいて、そうなると母親はほとんど睡眠がとれないということにもなりやすいんです。そうした場合、正常な判断力を失うケースもあることは容易に想像できますよね。
また、育児ストレスが虐待につながったと見られるケースが少なくないことも、かなりよく知られていますよね(虐待は複合的な要因で起こると考えられているので、あまり単純化するのも禁物なのですけれども)。
で、昔から赤ちゃんや子どもを殺してしまうのはほとんどが身内なんだそうです。赤ちゃんの場合に限ると母親が加害者のケースが9割と言っている人も(子供の犯罪被害データーベース 親による虐待・子殺し。余談ながら、「通りすがりの不審者なんかに子どもが殺される確率は、めちゃくちゃ低い。森でクマに出合って殺される確率よりも低い」なんて話も)。
虐待の場合も、6割が主に実母による虐待だという話もあります(Angel Aid どうして虐待はおこるの?。ただし、このサイト、あんまり全体をうのみにできるサイトではなさそうですが……)


とはいえ、虐待が殺人にまで至るケースは本当にレアケースで、しかも、子どもの数が減っていることを勘定に入れてもかなり減っています(子供の犯罪被害データーベース 赤ちゃん殺し統計グラフ。これも余談ですが、子どもが被害者や加害者になる殺人などの凶悪犯罪自体がかなり減っています)。


ここ十数年の殺人認知件数がほぼ1300〜1400件前後で安定していることと考え合わせると、母親による赤ちゃん殺しはかなり珍しいケースになってきたとはいえそうです。2005年でいえば赤ちゃんが殺されたケース(19人)は殺人全体(1419件)の1.3%程度にしかなりません(無限回廊:事件:犯罪関連統計資料 刑法犯罪認知件数)。
刑法犯全体の認知件数(256万余)や事件に遭遇する確率を考えると、多くのお母さん方の「あたしだってひょっとしたら」という不安が現実になる可能性はおそろしく低く、ほとんどないに等しいわけですが。


ここ10年ほどは虐待等がメディアに採り上げられることも増えて、母親の育児不安やケアについての知識も取り組みも、徐々にではありますが広まっています。特に育児を一人だけで背負っている「母親の孤立」についてはだいぶ知られて来たと言えるでしょう。
制度的にも危険性の高いケースでの児童相談所等が介入しやすくなってもいます。


しかし、殺人にまでは至らないけれども水際で食い止められているケースや認知されないケースがそれなりにある可能性は常にあるわけで。また、情報や制度の恩恵を受けられないケースというのだって、どうしても生じてしまうんですよね。100%はあり得ない。
事件の背景に、貧困や生活不安があるケースが少なくないということも、最近、改めて指摘されるようになってきたんですが、そういうケースにはいちばん情報も制度の恩恵も、届きにくいんですよね。保健所なんかにパンフを置いたり、相談電話が開設されたり、定期検診に来ないと保健婦さんが訪ねて行ったりと、いろんなことがなされてはいるのですが。


というわけで、なんぼ「ある種の類型」だとしても、かなり悩ましい問題ではあるのです。しかも、これ以上はもう劇的には改善されにくいのかもしれない、とさえ思います。悩ましくも悲しいことですが。