PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

バーナム効果とエゴグラム性格診断


#最初にお断り。「エゴグラム性格診断」は当たらないとか
#当たったように見えるのは「バーナム効果」だ、というお話では
ありません


あたしは性格判断とか○○度判定とか見ると、どーしてもやっちゃう。
で、毎度のように設問の大半は自己評価を問うもので、「『オレはオレをこう思う』という回答が正しいという保証がどこにあるんだ。『オレは○○だ』という自己評価は単なる願望や思い込みで、実際には違うかもしれないではないか」とか考えて回答に窮し、「それとも、『自分のことを○○だと評価する人間には××な傾向がある』とでもいうような研究成果でもあるのかしらん」などと考え直し、「いやいや、この程度のテストがそんなちゃんと作られているわけはない。遊び遊び」と思い切ろうとし、しまいには「遊びだって、まじめに回答しないとツマランでないの」と結局のところ堂々巡りなのだ。


やんなきゃいいのに、オレ。


そんでまた、結論に「えー?」「はぁ」とか思うんだよね。あんまり「なるほど」とは思わない。へそ曲がりなのだろう。
しかも、結果は半日後には忘れている<ダメじゃん


なんでやっちゃうんだろうなあ、と思いながら、さっきマイミクmiaちゃんの日記で知った「エゴグラム性格診断」ってのを、またまたやってしまったのであった。
懲りないわたし。


人間研究所「エゴグラム性格診断」
http://www55.channel.or.jp/human_labo/index.php

この性格診断は、心理学手法「エゴグラム」に造詣の深い、福島寛氏により開発され、6000人に対する実験で90%以上の的中率が証明されている、「エゴグラム性格診断」(無料)です。
「90%以上の的中率」って、どうやれば算出できるんだよう(苦)
的中率も自己評価なのか? 「9割の人が『当たっている』と評価した」とか「回答のなかの9割を当たっていると思った」とかいうことなのか? だったら思い込みは排除できないわよねえ?


などと思うくせに、やっぱりやる。
で、50の設問に苦しみながら答えて、診断は……長い文章だった、およそ900字(^◇^;) →mixi内日記
その長さのおかげで思い出しちゃったんですよ、バーナム効果。この長さはいかにも「バーナム効果、大盛り」って感じでがしょ<偏見だあ(^^;;


バーナム効果
誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象。(Wikipediaより引用)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%A0%E5%8A%B9%E6%9E%9C


こんな記事もどぞ。
人は肯定的な情報を信じやすい〜バーナム効果(メモログ 2005/11/18)


超心理学講座:6-6 信じやすさの心理学:<7> ギャンブラーの錯誤


ええと、たとえば、性格判断なんかで診断結果が長々と書かれていると、いくつかの当たっている部分を見つけて「おお、当たっている」と思っちゃう(当たっていない部分が多々あっても、当たったと感じちゃう)ってやつもコレなんでしょうかね。


血液型性格判断を「当たっていると感じてしまう理由」のひとつとして挙げられたりすることも、よくある。バーナム効果はいろんな性格診断の全般について言ってるはずなんだけど、なぜかバーナム効果だけで血液型性格判断はウソだと説明できると思って自爆・誤爆する人も少なからずいる模様。以前採り上げた小説「ブラッドタイプ」公式サイトの誤読かしら。
あ、こんなエントリも書いてた。こっちのリンク先の方がバーナム効果の説明としてはわかりやすいかも。


さて、で「エゴグラム性格診断」の結果です。


診断結果のなかに、当たっていると言えそうな部分がいくつもありました。
私は「他人が自分をどう見ているか」についてあまり気にしない方で、アロハにサンダルとかいうラフな格好で打ち合わせでも市教委でも赴き、30過ぎて結婚したときは意外だと驚かれ、フリーの編集者兼ライターで、しかも、ちゃんと食いっぱぐれてます。
立派立派<誰のなにが(爆)


「だったら当たってるんじゃーん」と言う前に。


実は、同じぐらい疑問な部分もあるんです。
まず「現実的でチャッカリしている所もある」と診断されたんですが、これはかなり疑問。要領が悪いのと、変なところで古風で、規則というか規律を遵守することには熱心だったりする側面もあるのです。
外見はともかく基本的に対人的な態度はかなり穏やかだと評されてもいます。もちろん反感を持たれることも、幼時から今に至るまで度々ありましたから、そうした態度が常にとれているわけでもなく、また、そうした態度が対人的に有効でない場合もあるということでしょう。
向いている職業として例に挙がっている中で、イラストレーター、技術者、芸術家、音楽家、芸能人は勤まりそうにありません。斉野王の有無もさることながら、とてもつもなく不器用なのです。で、フリーライター「も」やっていますが、ライターとして仕事をしないかというオファーはあまりなく、自分でも向いているのかどうかよくわかりません。研究者、福祉関係は、なったことないけど、まあ向いてないとは思わないかな。
向かない職業として挙っているのは「デスクワーク専門の公務員とか警察官、小・中学校の教員」ですが、デスクワーク専門は全然苦になりません。いまもほとんど一日中パソコンに向かっています。体力的にいわゆるオマワリさんは向かないかもしれないけど、杓子定規に働く適性自体はあるんじゃないかと思うんですよね。前述のように規律に従うどころか、ルール違反をかなり嫌がるし(もっとも、こういうのこそ宮仕えには向かないという意見もありましょうけれども、会社員時代はルール遵守よりも円滑な仕事を優先していましたから人間てえものはわからない)。
子どもが生まれてからは、子どもの相手も苦になりません。最近はなんだか学校関係のことでごそごそ動くことが増えたので、「別に子どもなら誰でも好きというわけではないんだなあ」ということも再確認しましたけど(^^;)


「自分の気分や好みを優先しすぎ」という診断も出ているのですが、実は「大事なことではガンコ」ですけど、大事なことはボクの場合、ごくわずかです。それ以外はほとんどどうでもいい。だから自分の意見を通すことよりも、一緒になんかやっている人の意見を通すことに熱心だったりもしますし、頻度としてはその方が多いぐらい。それが「自分の好み」なんですけどね(爆)


最初にスチャラカな人だと言う話が出てくると、「誰にでも当てはまるような曖昧な診断」ではなさそうですよね。
でも「スチャラカだ」と言い切られれば「えー!?」と思う人も、そういうことが「時々起こるタイプ」と表現されれば「ほう」と思うだけで済みそう。
さらに「要するに自分のワガママをある程度までは通しながら、それをこれ以上やると人生が破綻してしまうという所まで来れば、そこで踏み止まり踏み止まりしているタイプ」と言われて、「いやあ、全然違う」と思う人って、どんぐらいいるのでしょうか。
恋愛についても、いやあ、オレは違うよ、っていう人って……そんなにたくさんいますかね? 職業についても、「へえ」で済んじゃったり、縁がなさそうに思うのであれば逆にそういう傾向へのあこがれって、なにほどか持っていそうですよね。そうすると「違うよ−」とはなかなかならなさそうです。


さてさて。上記の診断について「当たった」と考えればよいのでしょうか、「当たってない」と考えればよいのでしょうか。私にはわかりません。すんごく大雑把には「半分ぐらいは当たってるかな?」と感じているってところでしょうか。


なに? 半分当たってればよく当たってるってことでOK?
それならそれでよいのですけどね(^^)