PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

はてダ http://d.hatena.ne.jp/kamezo/ からインポートしただけ

江原啓之スペシャル 天国からの手紙


江原啓之スペシャル 天国からの手紙〜亡き家族からのメッセージ〜2007夏』
http://www.fujitv.co.jp/tengokuehara/


8/7に放映されたこの番組、たまたまちらっと見たのですが、見ていられなくてすぐに消してしまいました。数名の幼稚園児が亡くなった事故かなにかを採り上げて、当事者や園児たちに「亡くなった子どもたちが、生前の親切をありがとうって言っている」みたいなことを言って泣かせていました。
無力感や絶望感にさいなまされている人の心の重しを取り除くためには有効な部分があるのだと思います。視聴者も、そこに共感しているのでしょう。


わたしのマイミクさんでも大泣きしちゃったという人や、それに共感する人がたくさんいて、彼らの日記を暗然と眺めていました。子どもをもつ親だったら、誰でも胸が締め付けられるようなネタの選び方、話の進め方だと思うだけに、口を挟めないのです。


そこでは、かつてだったら「もしも生きていたらお礼を言ってくれるはずですよ」とか「こう考えてみたらいいのでは」という考え方の提案だったはずの内容を、確認可能な事実であるかのように語ってしまう江原の手法は問題にされていません。


あれで救われてしまうことに危うさを感じます。事実と信じ込まされたうえで「救われた」と思ったのであれば、事実ではないとなったら「救われたと思った彼らの気持ち」はどうなるんでしょう。


また、あの内容を語るために「霊魂(あるいは霊界とかなんとか)が実在して、それと対話ができる人物がいる」という仕掛けが本当に必要なんでしょうか。
もしもそうなら、つまり「もしも生きていたらお礼を言ってくれるはずですよ」などと提案されても「本当にそうかどうか」がわからなければダメで、本当にそうだと断定してくれる人が必要ならば、これは宗教あるいは信教の問題です。
事実かどうかを確認する術はないのに、事実であると保証して欲しいという「ないものねだり」に答えてくれるのは、それしかないから。さもなければ詐欺とかペテンとかいう悪意を前提にしないといけないのですが、この際それは考えないことにします。


ということは、江原の行なうスピリチュアル・カウンセリングの実態は「教義をもたない宗教」ということになります。「死者との対話ができる」と主張しているということも加味するならば「前近代的な宗教」でもあります。
おそらく江原自身や江原支持者はこれはスピリチュアル・カウンセリングであって宗教ではないとかなんとかいうのでしょう。ある意味ではその通りで、現代においてなにかが宗教であるために必要なさまざまなものが、すごい勢いで抜けています。
これを平たく言うと「宗教もどき」でしかないってことになるんですが。


宗教不信と科学(あるいは合理主義)不信を両立してくれるのが「宗教もどき」であるスピリチュアリズムやオカルティズムなのだとすると……ううむ……
(後で続きを書くかも)